元レイズ松井秀喜外野手(38)を93年のプロ入りから現在まで取材しているメジャー担当・四竈衛記者(47)が、引退を決意した背景に迫ります。巨人時代から一貫して「個」より「チーム」を重んじてきた男が、チームに必要とされない現状を目の当たりにした時、苦渋の決断に至った。

 ある意味で、松井らしい決断なのかもしれない。一般的に、第一線で活躍し続けてきた選手が、引退を決意する際、その多くは「その瞬間」が訪れるという。プレー中に、体力的な変化や、フッとした気持ちの途切れを実感し、覚悟が決まる。松井の場合、「その瞬間」は、恐らくない。ただ、松井は常に「チームに必要とされ、勝利に貢献すること」を、最大のモチベーションにしてきた。メジャーからのオファーがない現在、これ以上、自分個人だけのためにプレーを続けることに、意義を見つけられなかったに違いない。

 プロ入り当時から、大きな使命を背負ってきた。1992年、ドラフト1位で巨人から指名され、長嶋監督(当時)からスーパースターとしての考え方、姿勢をたたき込まれたことで、松井の認識はさらに高まった。当時はサッカーや相撲人気が急激に高まり、野球人気の低下が叫ばれていた時代。「子供たちに夢を与えたい」。星稜高時代、甲子園で5打席連続で敬遠されても表情を変えなかった18歳の松井は、その時点で「個」を捨て、球界全体の発展を見据えていた。

 その後、メジャーでも好成績を残し、球界を代表する特別な存在となった。だからこそ、自分の引き際には、熟考する時間が必要だった。今回、メジャーが無理であれば、日本復帰などの選択肢もあった。移籍先が決まらなかった昨オフは、バッティングセンターなどで打ち込んだものの、満足できる練習量には程遠かった。実際、レイズの3Aダーラムで思うような結果が出なかった際には、「だってキャンプをやってないんだからね。無理だよ」とこぼすこともあった。やり尽くした感覚や体力の限界を痛感したわけではない。

 今オフ、年末ギリギリまで悩み抜いたのも、「キャンプでしっかり練習したい」との思いを捨てられなかったのが最大の理由。最後まで自らの可能性だけを探るためだけであれば、どんな条件でも受け入れられる。ただ、必要とされ、勝利に貢献できない限り、自らの存在価値は見いだせない。現役続行のためには、自分から売り込むのではなく、求められる「オファー」が必要だった。

 数々の遅刻歴が物語るように、常にマイペースと言われてきた松井だが、誰よりも「人」や「縁」を大事にしてきた。星稜高時代は山下監督に厳しく育てられ、巨人では長嶋監督、ヤンキースではジョー・トーリ監督に師事するなど、野球人としてだけでなく、人間として尊敬できる恩師と出会い、野球観を培ってきた。「本当に人に恵まれてきたと思います」。人との出会いや縁に運命を感じてきた松井が、オファーのない現状に引き際を感じるのは、ある意味で自然だったのかもしれない。【四竃衛】