巨人原辰徳監督(57)が、今季限りで辞任することになった。ヤクルトとのクライマックスシリーズ(CS)ファイナルステージに敗退し、日本シリーズ進出を逃した。今季の戦いが終了し、試合後に桃井恒和球団会長(68)に辞任の意向を伝えた。明日19日、渡辺恒雄最高顧問(89)と白石興二郎オーナー(69)に、直接伝える。通算12年でリーグ優勝7度、日本一に3度導いた名将がユニホームを脱ぐ。

 2015年10月17日は、巨人だけでなく野球界にとっても大きな節目の日になった。原監督はヤクルトに敗戦後、ファンに大きく手を振ってあいさつ。クラブハウスに戻り、桃井球団会長に辞任する旨を伝えた。原監督はその後、報道陣をクラブハウスに呼び、語った。

 「この3年間、なかなか成績が上がらずに、少しずつ下降線をたどっていっている。長きにわたって監督をやらせていただきましたけど、そろそろ潮時だなと。新陳代謝が必要だろうと。次の世代、次の人たちにジャイアンツを託そうということで、考えを伝えました。2016年度のジャイアンツは、新しい指導者にお任せしよう。それがジャイアンツのためであり、プロ野球のためでもある。『今シーズン限りでユニホームを脱がせて下さい』と、お願いをしたということです」

 球団から正式な続投要請はなかったが、秋から話し合いを重ねてきた。議論の中心は、巨人軍が進むべき未来像だった。長い時間を費やして、勝つ方法論を確立した。しかし、どんな時代でも、盤石の状態が未来永劫(えいごう)続くことはない。辞任がベストの選択と考えた。

 選手の衰え。選手を導けないコーチ陣の力量。各所に現れたひずみの責任を感じた。構造的な改革を行うべきではないか。球団側に素直な考えを伝えた。球団は、原監督の残してきた実績に心から感謝している。その上で意向を理解し、考えは一致しているとみられる。

 CS期間中、気分転換を図ろうと監督室の模様替えをした。段ボールを出す姿を目にした選手たちは「監督が荷物整理をしている」と、非常に悲しんだという。独創的な手腕と人心掌握を両立させ、時代を築いた。希代の名将が巨人を去る。ひとつの時代が終わる。

 ◆原辰徳(はら・たつのり)1958年(昭33)7月22日、福岡県生まれ。神奈川県出身。東海大相模から東海大を経て80年ドラフト1位で巨人入団。1年目に22本塁打を放ち新人王。83年には103打点で打点王、MVP獲得。プロ入り12年連続20本塁打。ベストナイン5度。95年引退。通算成績は1697試合で1675安打、382本塁打、1093打点、打率2割7分9厘。99年に野手総合コーチで巨人復帰し、00年からヘッドコーチ。02年に監督就任し、いきなり日本一。03年に3位となり退任も、06年に監督復帰。07~09年、12~14年にリーグ3連覇。09年WBCでは日本代表監督として世界一。181センチ、88キロ。右投げ右打ち。今季推定年俸3億円。家族は夫人と1男。