巨人浦田俊輔内野手(23)が夢が重なるグラブで初の「夢舞台」に立った。大好きな黄一色の球宴特注品には、「TRINITY」のロゴマーク。プロ1年目の昨季から愛用する、東京都墨田区の製造販売メーカー「GRIT」のグラブだ。社員3人の下町の工場で作られ、プロ選手ではただ1人の使用者。「一緒に大きく」。そんな思いを込める。
きっかけは川相昌弘ディフェンスチーフコーチ(61)だった。19年9月21日、ヤクルト館山、畠山の引退試合となったヤクルト-中日戦。ラジオの仕事で、神宮の放送席に座っていた。その近くには4人の一般視聴者が陣取っていた。
生解説を聞きながら、試合を観戦できる特別企画。事前に観覧募集し、狭き門を突破した幸運なリスナーだった。その中には、メールに「川相愛」をびっしり書き込んだ男性がいた。
小学生の頃に通った東京ドームにはまだ川相のグッズがなく、旗を買って自分で背番号の「0」をアイロンで押しつけて振っていたこと。川相の初の著書が出た時に、サイン会があると聞いて、父にお願いして学校より本屋を優先して、握手してもらった思い出。歴史と熱が詰まっていた。
イベント終了後、川相にその男性が明かした。「実は僕、グローブを作る仕事をしてて」。両国にあったグラブ製造会社に従事して、社員として働いていること。何年後かには独立して、自分の会社をつくろうとしていること。そして。
「もし会社ができたら、自分の作るグローブにプロ目線でご意見をいただけませんか」。恐る恐る、緊張の面持ちでお願いされた。それが、それから半年後の20年4月に「GRIT」を創業する佐々木一行さんだった。思わぬ申し出に、川相はほほえんだ。「面白いねえ、全然いいよ!」。
それから5年。川相は巨人のユニホームを着ていた。22年からファーム総監督として現場に復帰し、その後も1、2軍で指導にあたっていた。神宮球場での出会いから、ずっと佐々木さんのことは頭にあった。
「守備担当してると、オリジナルの物、道具を作って、選手に提供してあげるのが、やりたいわけよ。練習でゴロ捕球をやることで、守備の上達に役立てるみたいな」。いよいよ、独自の道具製作へ動きだすタイミングで、連絡を入れた。
長い野球人生で初めて、グラブのために工場を訪れた。さまざまな作品が並ぶ一室で、実際にはめてみた。「いいねえ」。出来栄えに確信し、希望を伝えた。それがいま、練習で使う板型グラブだった。
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佐々木には願ってもない機会だった。「私たちはもの作りなので、自分たちの自己満足で良いものができたから喜ぶのではなく、子供も中学生も高校生も大学生も社会人もプロもおじいちゃんも、みんなが自分の思い通りのグローブを作れて、みんなが笑顔になる、野球がますます楽しくなる。それが一番です」。小さいからこそ、できる事がある。川相の訪問、提案は、本望だった。心が沸いた。さっそく、制作に入った。
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浦田が初めて目にするグラブに触れたのは、25年の春先だった。2軍の練習で、川相の個人指導を受ける。手渡されたのが、板グラブだった。「かわいいな」。第一印象からして、予感めいた。ちょうど、新たな相棒を探していた。
運良く、練習用の特別な製品だけでなく、いくつかの通常グラブを川相が持ち込んでいた。佐々木さんの工場を訪れた時に、借りてきていた。「他のメーカーさんと比べて、革がものすごく良くて。言葉では表現しにくいんですけど、ちゃんと張ってるけど、しっとしている」。試してみたい。川相に連絡をお願いすると、すぐに動いてくれた。
6月、ジャイアンツ球場だった。墨田区から足を運んでくれたのは、佐々木さんとともに独立していた橋本圭司さんだった。捕球の際に何を大事にしているか。重さや軽さ、ボールの握り方。そんな対話をかわしながら、逆に提案をもらった。なぜ捕りやすいのか、なぜ捕りにくいのか。作り手の引き出しに目を見張った。「熱心、親身になってやってくださって」。すぐに少しずつ特長を変えながらの3個が出来上がった。その中で、いまも試合で使うブラウン色のグラブにほれた。
ともに歩んでいきたい。そう願った。「僕もメーカーもまだ小さい。一緒に大きくなっていきたい」。その一心でプロ2年目を駆け抜けてきた。二塁、三塁、遊撃。万能に守備を固め、美技、妙技を連発。6月以降は主に1番を任され、打率はリーグ4位の2割7分7厘、盗塁数25個はリーグ首位タイと躍進する。
つかんだ球宴初出場。この日だけのグラブにも、みなの夢が詰まる。「ともに大きく」。通じ合う心を力に、ボールを追った。【阿部健吾】



