ソフトバンクが投打に圧倒的な強さを見せつけ、2年連続日本一に輝いた。王手をかけて迎えた「SMBC日本シリーズ2015」第5戦も、投打に圧倒的な強さでヤクルトを下し、就任1年目の工藤公康監督(52)が神宮の空に舞った。日本一は球団7度目(前身の南海、ダイエー時代を含む)。シリーズ連覇は92年に西武が3連覇して以来となる。

 球場を去る直前、工藤監督は左翼からファンに一礼した。大歓声を浴び、その目は潤んでいた。最高の笑顔で9度舞ったが、最後は胸に迫るものがあった。「感無量。天井はなかったが、最高の気分だった。ここまで来られてよかった。ホッとしている」。現役時代を含め、12度目の日本シリーズ制覇。頂点の味は今までと違った。「全然違いますね。選手たちがグラウンドで暴れなければ、宙に浮くことはできない。彼らとずっと野球がやりたい」。

 南海時代を含め、2年連続の日本一は球団史上初。しかも新旧監督による離れ業だ。その裏には、王球団会長との「絆」があった。昨年の9月30日に球団は秋山前監督の慰留を断念し、辞任を受理。混乱の中、後日、工藤監督は交渉のテーブルに就いた。王会長が頭を下げた。「こういうことになって、大変申し訳ない。下位のチームならまだしも、日本一のチームを引き受けるのはリスキーだと思う。でも工藤君しかいない」。95年から5年間、師弟関係にあった会長の言葉は胸に響いた。

 その場で、工藤監督は積年の思いを吐露したという。「僕は後ろ髪を引かれる思いで出て行きました。今までずっと良心の呵責(かしゃく)を感じていました。少しでも恩返しさせてください」。99年オフに巨人へFA移籍。当時の球団首脳との確執から退団を余儀なくされた。王会長には経緯を理解してもらっていた。それでも15年間、心の奥で引っかかりがあった。

 監督要請の場では、受諾の意思を真っ先に伝えた。条件面の話し合いは後回し。いわば「白紙」の契約書に合意した。「オヤジ」と呼ぶ故根本陸夫氏(享年72)は工藤公康をこう評した。「アイツは金で動かないから、難しいんだ」。

 条件が判断基準ではない。なぜ自分なのか。そこに大義はあるか。「『これだけ出すから、来て下さい』ではない。自分が恩に感じているならば、どんな条件でもやる」。すべてをかけ、ダイエーで弱小球団から日本一にたどり着いた。福岡のファン、王会長への恩義。運命的とも言えるオファーを受け、監督として全力で駆け抜けた。

 シーズン中に、自らのあり方を語った。「俺は防波堤なんだ。海が穏やかな時は何もしなくていい。波が高くなった時に、どうするか。それが俺の仕事だ」。困難な時に、どう対処するか。あの日の「背中」がそうだった。96年5月9日、大阪・日生球場。最下位を走るチームにファンの不満が爆発。バスは取り囲まれ、生卵をぶつけられ、罵声を浴びた。車内にいたエース工藤も怒り心頭だった。ふと前を見た。王監督が微動だにせず、座っていた。「このファンも、勝てば拍手で迎えてくれたはずだ」。指導者としての清廉とした振る舞い。「あの姿を見たら、俺たちは何も言えないよな」。日本シリーズ連覇は、王-秋山-工藤という系譜の勝利でもあった。

 V3を目指す来季は真価を問われる。勝つほどに険しくなる道。たった1日の休養を取り、あす31日に宮崎に飛ぶ。秋季キャンプで若い芽を育てる。恩返しの日々は、まだ終わらない。【田口真一郎】

 ▼ソフトバンクが2年連続7度目のシリーズ制覇。2年以上続けて日本一は90~92年西武以来となり、ソフトバンクは初の連覇。昨年は秋山監督、今年は工藤監督で、前年と違う監督でシリーズ連覇はプロ野球史上初めてだ。新人監督のシリーズVは10年西村監督(ロッテ)以来10人目。