火の玉ストレートが、甲子園で眠れる虎をたたき起こした。同点の8回に2番手で登板した阪神藤川球児投手(36)がヤクルト打線に力勝負。大引から日米通算1000奪三振を決め、西浦のゴロを一塁ゴメスが後逸してもめげず、こわいバレンティンをK斬り。ゴメスの決勝2ランを導き、6月20日オリックス戦以来の4勝目を手にした。

 やはり、球児には真っすぐが似合う。スピンがかかって伸びる「火の玉」が似合う。同点の8回1死一塁、日米通算1000個目の三振を奪った。高め146キロで大引のバットを上回る。甲子園。割れんばかりの歓声がまた似合っていた。

 「ほとんどの三振が今いる首脳陣の方たちと、30歳を超えたぐらいの選手と一緒にやってきた数字。共有、共感できるということはすごくありがたかった」

 チームを勝利に導くため、全身全霊を注いだ歴史だ。三振に「こだわりはない」と言う。数年前まで共に戦った金本監督、矢野コーチら仲間の笑顔がただ、うれしかった。「三振以外にアウト取る方法が技としてあればいいんですけど、あまり持ち合わせてないので。最後は狙ってました」。2死一、二塁、フルカウント。3番バレンティンから140キロ直球で空振り三振を奪い、指揮官を「真っすぐしか待っていない中での空振り。球児ですね」とうならせた。

 「野球だけがすべてじゃない。野球がうまくいかない苦しみなんて、人生トータルで考えたら、ちっぽけなことじゃないですか」

 球児はそう伝える時がある。鈴衛ブルペン捕手もこの一言に救われた1人だ。かつて悩みを打ち明けた時、真っすぐ目を見て投げかけられた。「みんな1人1人が『人生』という映画の主人公なんですよ。鈴衛さんが主人公の映画の中では、僕はただの脇役なんですからね」。1人の人間、父親としての生き様にもこだわる。だから、苦悩も力に変えられる。

 「リリーフから先発に転向とか、その逆も含めて、自分もいい勉強になる。現役を続けながら野球のことをもっと深く知れて、いい人生だなと思います」

 3年間の米国生活では壁にぶち当たった。右肘を手術。四国IL・高知で故郷を背負う時期もあった。阪神復帰1年目は先発でスタートしながら、今は救援待機。すべては人生の糧。代名詞1000個は糧を積み重ねてきた証しでもある。

 「チームとして大変なのは分かるけど、今日しか来られないお客さんも、明日仕事のお客さんもいる。それはいつも一緒。これから起こることにトライしていくのが仕事なので」

 4勝目で虎を甲子園8戦ぶり白星に導いた。その、目の前の仕事に集中する姿が、仲間の心を動かす。【佐井陽介】

 ▼藤川が日米通算1000奪三振を達成した。内訳は日本球界969、メジャー32、計1001奪三振。所要イニングは日米合わせ767回1/3で、日本人投手としては02年に佐々木主浩(マリナーズ)が到達した際の751回1/3に次ぐ2番目のスピード達成だ。なお日本球界のみでの最速ペースは、93年野茂英雄(近鉄)の871回。藤川は日本球界のみの投球イニングは741回で、あと130イニング以内に31三振を奪えばNPB最速となる。