東北球界NO・1投手で阪神からドラフト2位指名された小野泰己(たいき、22=富士大)は今年、プロへの第1歩を踏み出す。昨季引退した福原忍2軍育成コーチ(40)がつけた背番号28には、大きな期待が込められている。泰己という名前の由来が面白く、競走馬サラブレッドで97年のG1安田記念を制したタイキブリザードからとられている。名は体を表すと言われる通り、小野とタイキブリザードの歩調は、いみじくも一致していた。

 突然の告白だった。12月、小野にプロとしての意気込みを聞き終わると、話題は自然と名前の由来に移っていった。すると小野は首をかしげながら、恥ずかしそうに話し始めた。

 小野 子供の頃、父親に名前の由来を聞かされたことがあるんです。タイキブリザードっていう競走馬から名前をとったと説明されて、ピンと来ませんでしたね。競馬もやりませんし。1度調べてみたら、すごい馬だってことは分かりました…。

 驚いた。競走馬から名前をもらうなんて、今まで聞いたことがない。興味津々で、北九州市の父勝己さん(50)に真相を聞いてみた。

 勝己さん 第1子の姉愛恵(ちかえ、26)はみんなに愛されるようにと、意味を考えてたんですが、泰己は3番目やったんで考えるのが面倒くさくなって(笑い)。競馬が好きやったし。生まれた頃、タイキブリザードは強かったしね。自分の名前から1文字とって、字画だけ見てもらい「泰己」にしました。

 拍子抜けした。特に意味があって名付けられたわけではないのが分かった。ならば、タイキブリザードについて調べてみると、小野と一致する部分が浮き上がってきた。小野が生まれた94年5月30日時点で、同年デビューのタイキブリザードは既に3戦で2勝しており、将来を嘱望されていた。だが翌95年はG1戦線で好走するものの勝ちきれず、G1初勝利は97年の安田記念。素質はありながらも“大器”晩成型だった。まるで小野ではないか。

 福岡の折尾愛真高時代、最速146キロで注目を集めていた小野だったが、高3夏に右ひざ半月板を損傷。わずか1イニングの登板で、涙の初戦敗退に終わった。プロ志望届を出すも指名はなし。その状況でも熱心に勧誘してくれたのが“吹雪”舞う岩手・花巻市にある富士大だった。2年春から頭角を現し、4年時は最速152キロにまで球速がアップ。大学のみならず東北球界のエースにまで成長を遂げてみせた。恩師の豊田圭史監督(32)が「完成されてない分、伸びしろは先輩の多和田(現西武)よりも上」と断言するほどのスケールが評価されて、晴れて阪神に2位指名された。

 タイキブリザードは安田記念に勝った97年には米国遠征を経験している。ならば小野もメジャーに挑戦する意思はあるのか?