<巨人4-11ヤクルト>◇15日◇東京ドーム

 キューバの4番が歴史的な第1歩を日本の地に刻んだ。巨人フレデリク・セペダ外野手(34)が15日のヤクルト戦で来日わずか4日目で1軍登録。いきなり球団史上第80代の4番に座り、左翼手で先発出場した。3回には痛烈な右前適時打を放ち、日本初安打をマークするなど3打数1安打1打点。チームは3連敗を喫したが、キューバの制度改革による海外移籍容認1号として裸一貫で日本に乗り込み、注目のデビュー戦を終えた。

 男の体が震えた。五輪、WBCとは違う。どんな国際大会も比較はできない。異国の地で、キューバ代表ではないユニホームを自分が着ている。感動と緊張。「4番レフト、セペダ。背番号23」。聞き慣れない言葉のアナウンスに日本人ファンが大歓声を上げている。「代表で12年間、4番を務めたが、日本で1番歴史のあるチームの4番という大役を預かった。すごい緊張感があった」。身震いに襲われた。

 第2打席で能力の一端を見せた。3回2死二塁。ヤクルト木谷の内寄り低めの直球を強振。強烈なスイングスピードで弧を描き、右手1本のフォロースルーでバットが地面をたたいた。痛烈な打球が二塁手の右を抜け、日本初安打は適時打となった。「一体感のある応援が後押ししてくれた。うれしくてホッとした」。

 12日、裸一貫で日本に降り立った。携えたのは己の肉体と大志だけ。バットもスパイクも打撃用手袋も持ってこなかった。球団関係者が対面した時、所持金はたった200ドル(約2万円)だった。海外での国際大会を経験し、母国とは、はるかに違う異国の物価の感覚もある。だが買い物をしに来たわけではない。数枚のお札が覚悟を表していた。

 原沢球団代表兼GMが気遣い、体調について聞くと、キッパリと言った。「体調は問題ありません。自分は野球をしにきたわけだから。早く試合に出たいです」。キューバにいる同志の野球選手たちは、自分の背中を見ている。パイオニアとして成功するという使命感があった。やりとりを聞いた原監督は「本当にピュアなんだ」と感動した。成功と栄誉、ふさわしい報酬を夢見ることが当たり前の世界。34歳で海を越え、純粋に野球に向き合う男がいた。その偉大な挑戦者に第80代4番という舞台が用意された。

 来日前からキューバ出身の日本ハム・ミランダに連絡を取り、日本野球について情報収集。前夜は代表の同僚だったアンダーソンと6年ぶりに食事を取り、日本の投手がフォークを駆使することも頭に入れた。4打席目は木谷の鋭いフォークにハーフスイングで三振したが、四球も選ぶなど適応能力の高さを見せた。

 試合には敗れたが、感動の余韻は消えなかった。「第1号の選手になれたのを誇りに思う」。午後11時7分、チームで最後に球場を離れた。一生の思い出と初安打の記念球を体に携えていた。【広重竜太郎】

 ▼セペダが巨人80人目の4番で出場。外国人選手では今年4月26日アンダーソン以来23人目。加入初戦で4番に座った外国人は、ロッテから移籍した06年李承■以来だが、来日初戦で4番はセペダが初めて。これまで来日して最も早かったのは、83年スミスの出場5試合目だった。94年落合、97年清原、前記李ら移籍組を除くと、初出場では日本人を含めても初代の36年永沢以来2人目。※■は火ヘンに華