<西武1-9巨人>◇20日◇西武ドーム

 セ界最年少で到達した。巨人坂本勇人内野手(25)が、プロ通算1000安打を放った。20日に開幕した交流戦の西武1回戦で、1回1死一塁から左前に運んだ。25歳5カ月での達成は、セ・リーグ最年少記録。歴代3位タイで、日数ではイチロー(現ヤンキース)を23日上回った。2年目の19歳から遊撃手で不動のレギュラーをつかみ、8年目で節目の記録をクリア。1500、2000へと続く道を突き進む。

 体勢を崩されながら、バットの先で拾った。左翼栗山の前で弾んだ一打は、プロ野球人生で1000回目のHランプだった。一塁ベース上で花束を受け取って、丁寧に頭を下げた。「僕らしいヒットと言えば、らしいヒット。サポートしてくださるトレーナー、裏方の方に感謝したいです」と感謝が詰まった。

 反骨から始まった野球人生だった。19歳だった2年目、「若さ」に注目が集まる現実が、悔しくてたまらなかった。初選出されたオールスター、表情は曇りがちだった。「僕でいいんですか?

 僕より成績も良くて、実績のある方がいるのに」。シーズンを打率2割5分7厘、8本塁打で終えた。それでも、街を歩けば「坂本」と指をさされ、握手を求められた。

 坂本

 こうやって見てもらえるのも、今だけだと思う。いつか、ちゃんと成績で認めてもらえる選手になりたいです。

 晴れ渡った表情で、将来のビジョンを語ったのは08年のオフだった。勝負師は時に「孤独」と闘うが、周りを見れば、先輩の姿があった。そのオフ、悩んだのは「疲れとどう向き合うか」だったが、高橋由の紹介で治療院で体をケア。ケガの苦しみを知る先輩の言葉は重く、ケアの大事さを知った。「ケガなく、試合に出られた結果です」。試合後、何度も繰り返した言葉の原点だった。

 大事に、心にとどめる言葉がある。「日本一の大型遊撃手を目指して、頑張ってください」。数年前、年賀状に記された王貞治氏(現ソフトバンク球団会長)の言葉だ。「僕にはもったいない言葉ですけど、目標を高く持つことは大事。そこを目指して、頑張りたいです」。青年の志は、日本一の頂へと向かった。

 小学生の頃、唯一、記憶に残る野球観戦で、阪神大豊が描いた放物線にプロ野球の魅力を感じた。ジュースやお菓子に夢中だった少年の手が、止まった衝撃。「プロ野球って、すごいなぁと感動したのを覚えています」。あれから、10年以上の月日がたった。リーグ最年少での1000安打到達に「想像できなかった」と言ったが、背番号6の姿を少年たちは夢見る。

 記念のボールは、手元に届いた。「一応あるんですけど、どうしようかなと」と笑った。「1500本、2000本を狙えるように頑張っていきたいです」。坂本勇人。25歳。次なる偉業に向かって、また走りだした。【久保賢吾】

 ▼通算1000安打=坂本(巨人)

 20日の西武1回戦(西武ドーム)の1回、牧田から左前安打を放って達成。プロ野球277人目。初安打は07年9月6日の中日21回戦(ナゴヤドーム)で高橋から。坂本は909試合、25歳5カ月で達成。最年少記録は61年榎本(大毎)の24歳9カ月で、25歳5カ月は年少3位タイ。巨人では00年松井の26歳1カ月を抜き、セ・リーグ全体でも73年藤田(阪神)の25歳11カ月を抜く最年少記録となった(試合数では34位)。