<ノア:小橋建太引退試合>◇11日◇日本武道館◇1万7000人

 最後まで一生懸命を貫いた!

 プロレス界の「絶対王者」小橋建太(46)が、思い出の地・日本武道館で現役生活に別れを告げた。メーンの8人タッグで、39分59秒、ムーンサルトプレスで、12年2月11日以来455日ぶりの勝利を飾った。かつて付け人を務めた教え子たちに、187発のチョップを打ち込んだ。度重なる苦難から立ち上がった“青春の握り拳”に場内が沸き、天から降り注ぐような歓声と拍手を浴びて、鉄人はリングを去った。

 小橋は、握りしめた右拳を絶叫とともに突き上げた。究極の決め技ムーンサルトプレスの合図だった。「おーっ!」。ファンの期待のどよめきと歓声が交錯する中、トップロープから小橋の体が後ろ向きに舞い上がった。金丸の上に105キロの巨体がかぶさり、39分59秒に及ぶ熱戦は終わりを告げた。

 最後まで小橋らしい試合だった。かつての付け人の技をすべて受け切って、合計187発のチョップを打ち込んだ。25年のプロレス人生の集大成。グランド卍、コブラツイスト、ローリングクレイドル、剛腕ラリアットなど、あらゆる技を繰り出した。

 試合後、小橋は「とうとうこの日が来ました。今日、私は引退します。プロレスで培った不屈の精神で、これから頑張っていきたいと思います。これまで小橋建太にかかわってきた皆さんに感謝します」と、リング上であいさつした。入場時に巻いてきたGHCベルトを再び巻き、引退の10カウントを聞いた。あいさつが終わると、チャンピオンのコーナーである赤コーナーに顔を埋めた。

 小橋が何としても最後に聞きたかった「小橋コール」が、聖地にこだました。第2試合後に行われた引退セレモニー。グレーのスーツ姿で花道に登場すると鉄人に「コバシ!」「コバシ!」と、大観衆の声が降り注いだ。かつて戦った仲間や、各界の著名人が、小橋の労をねぎらいに駆けつけた。野田佳彦前首相、テリー伊藤、伍代夏子、徳光和夫らから花束を贈られた。四天王時代をともに戦った川田利明が姿を見せると、武道館は興奮のるつぼと化した。

 この日、午前4時に目が覚めた。最後に試合をしたのは昨年2月19日。447日ぶりの興奮に、いてもたってもいられなくなった。前日は「余裕がない」と否定していたが、やはり足はノア道場へ向いた。午前8時過ぎ、道場に到着すると3時間、たっぷり汗を流した。最後の日でも小橋はやはり小橋だった。

 スポーツの実績もなく1度は入団を断られた雑草だった。人一倍の練習と、折れない心でプロレス界の頂点に上り詰めた。踏みつけられても、蹴られても両拳を握りしめ立ち上がる。「青春の握り拳」と名付けられたファイトスタイルでファンに愛された。常にファンの応援を胸に苦難を乗り越え、故ジャイアント馬場さんも、故三沢光晴さんもできなかった引退試合をやることができた。「後輩に道筋をつけることができた」と少しだけ胸を張った。

 「プロレスとは?」と問い続け、走り続けた25年間。戦い終えて見つけた小橋の答えは「プロレスは青春」だった。「10代、20代が青春じゃない。40代、50代にも青春がある。次の青春を見つけます」。自分のプロレスをやり尽くして、小橋建太という時代が終わった。【桝田朗】

 ◆小橋建太(こばし・けんた)本名・小橋健太。1967年(昭42)3月27日、京都府福知山市生まれ。高校卒業後、一般企業に就職もプロレスへの夢を断ち切れず87年に全日本入り。88年2月26日に大熊元司戦でデビュー。96年7月に田上明を破って初の3冠王座を獲得。00年にノア旗揚げに参加。03年3月1日に三沢光晴を破って、第6代GHCヘビー級王者の座を獲得。2年間にわたって団体内外の強敵を倒し続け、13度の防衛を記録。「絶対王者」が代名詞に。06年7月に腎臓がんを手術し、07年12月2日に復帰。12年12月9日、両国国技館で引退表明。得意技は剛腕ラリアット、チョップ。夫人は、演歌歌手のみずき舞。186センチ、105キロ。