大相撲の元小結時天空の間垣親方(本名・時天空慶晃=ときてんくう・よしあき)が1月31日午前1時12分、悪性リンパ腫のため都内の病院で死去した。37歳だった。突然の訃報に、師匠の時津風親方(元前頭時津海)は「残念で仕方ありません」と無念さを語った。

 現役だった15年7月、右脇腹に痛みを覚えた。当初は「あばら骨のヒビ」。秋の再検査で悪性リンパ腫と診断された。復帰を目指して抗がん剤治療を行い「モルヒネを打ったら痛みに負ける」と鎮痛剤を拒んだこともあった。腫瘍は小さくなった。だが、体力が戻らず、5場所連続全休の末、昨年8月に引退した。それでも会見では「元気です」と話し、翌秋場所で花道警備などの業務もこなした。

 ただ、千秋楽後に時津風親方が聞くと「『疲れた』と言っていた」。10月半ばに体調が悪化。「腰が痛い。足が不自由になってきた」と話し、昨年11月から自宅療養に入った。1月30日午前中に急変し「呼吸が苦しくなった」と訴えて病院へ搬送。親方は午後2時半ごろに訪れて「声をかけたら2回ぐらい目を開けた。呼吸が苦しそうだった」。入門時の師匠で先々代時津風親方(元大関豊山)の内田勝男氏や部屋の力士らも1度、病院を訪れた。31日午前1時12分、最期は家族にみとられた。遺体は午前3時ごろ、部屋に戻った。

 間垣親方は当初、農業の勉強のために来日。東農大1年時に全国学生体重別で優勝してプロ入りを決意した。大学2年の02年名古屋で、22歳で初土俵。それでも先々代親方との約束から中退はしなかった。04年1月に関取昇進と同時に達成した卒論は、モンゴル農村部の過疎化をまとめた「システムダイナミックスによるモンゴルの人口動態に関する研究」。外国出身では異例の学士力士だった。