幕内呼び出しの隆二(伊勢ケ濱)が、23日に56歳の誕生日を迎えた。「(抱負は)現状維持ですね(笑い)。かみさんや娘たちから『おめでとう』と連絡がありました」。柔らかな笑顔で言った。

児童養護施設に預けられていた15歳の時、元小結廣川の宮城野部屋に入門した。施設の同級生が力士としてスカウトされ、「呼び出しも欲しい」と誘われた。相撲のことはほとんど知らなかった。「呼び出しって何ですか?」と聞くと、テレビ中継で映っていた土俵下の呼び出しを指さされ、「これだよ」と教えられた。水おけの前に座って、関取にタオルを渡す、水付けを担当している呼び出しの姿だった。

横須賀市出身。小学校4年の時に両親が離婚した。その後は、父が男手一つで育ててくれたが、中学2年の時に蒸発した。ある日、出かけたまま、帰ってこなかった。母はすでに疎遠になっていて、親戚付き合いもなく、神奈川・葉山町の児童養護施設に入った。

「親を恨みました。なんで、オレがこんなところに行かなきゃいけないんだと」。中学校は転校した。成績が良ければ、高校にも行かせてもらえたが、隆二は働く道を選んだ。角界入りは、相撲が好きだったからではなく、生きていくための手段だった。

それから約10年後、横浜市で行われた巡業に母が突然、やってきた。隆二が相撲界に入ったことは知られていた。「何しに来たんだ」と言ってしまった。すると、謝られた。その後数回会ったが、子どものころのような関係性には戻らなかった。

それからさらに数年後、父の死を知った。ある日、日本相撲協会を通じて、宮城野部屋に電話がかかってきた。電話を受けた部屋のマネジャーから、父の死を知らされた。父は一人暮らしをしていた横須賀市の自室で孤独死していた。その夜、警察署の霊安室で、遺体の確認を求められた。顔を見るのは、中学2年の時以来、約20年ぶり。すでに面影はなく「は?」と声に出してしまったという。

このころ、元幕内竹葉山が宮城野部屋を継承していた。部屋が、父の葬式を開いてくれた。喪主は隆二が務めたが、父には同情できなかった。喪主としてあいさつをする気にもなれなかった。そんな時、先代のおかみさんに強く言われた。「隆二、あんたのお父さんよ!」。急に涙がこぼれてきた。隆二は泣きながらあいさつをした。

入門から40年以上がたった。相撲界に入って呼び出しを務めているからこそ、隆二の名が知られ、母は訪ねてきたのかもしれない。父の遺品の何かから、相撲協会へ連絡が入ったのかもしれない。はっきりとは分からないが、本名をそのまま呼び出しの名前にして、土俵に立っていたからこそ、両親と再びつながったのかもしれなかった。

施設から一緒に入門し、力士になった同期は2年半で引退した。最高位は序二段だった。

幕内呼び出しになった隆二は言う。

「部屋には同期の力士が5、6人いて、呼び出しの同期は3人。だからストレスもなかった。周りの人に助けてもらいましたね。(相撲界に)入ってよかったですよ。結婚もできて子どももいますから」。

長女が結婚して家を出て行く時は「分かってんだろうな、もう帰ってくるなよ」と笑って言いながら送り出した。

「現状維持」と控えめな抱負を口にする隆二は本場所中、幕内前半の取組で2番、力士の名前を呼び上げる。出番は午後4時半すぎ。にもかかわらず、午前中から発声練習を始める。

隆二の壮絶な人生は、角界に救われた。あの日の決断に後悔はない。導いてくれた葉山町の児童養護施設には、今も本場所ごとに番付表を送り続けている。【佐々木一郎】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

◆隆二(りゅうじ) 本名・高橋隆二。1970年(昭和45年)7月23日生まれ、神奈川県横須賀市出身。元小結廣川の宮城野部屋に入門し、1988年春場所初土俵。2024年4月、伊勢ケ濱部屋へ転籍。現在は幕内呼び出し。

呼び出しの隆二(撮影・森本幸一)
呼び出しの隆二(撮影・森本幸一)