東日本大震災で児童74人が死亡し、学校管理下で最悪の津波災害となった宮城県石巻市立大川小の児童23人の19家族が、市と県を相手に23億円の損害賠償を求めた訴訟の判決で仙台地裁(高宮健二裁判長)は26日、学校側の責任を認め、市と県に計約14億2660万円を支払うように命じた。

 遺族が主張し続けた教育現場での再発防止が前進し、全国の学校防災に大きな影響を与える可能性がある。

 長男大輔くん(当時小6)を亡くした原告団の今野浩行団長(54=会社員)が判決後の会見で、こう絞り出した。

 「みなさん、想像できるでしょうか。51分間もの長い間、死ぬかもしれないという恐怖の中、死んでいった74人の子どもたちのことを。がれきの中に折り重なるようにして見つかった30を超える子どもの遺体を。ブルーシートにくるまれ三角地帯に並べられた30を超える子どもの遺体を。水を吸ってむくんでしまい、すぐにはわが子と分からなかった子どもの姿を。木に引っかかったまま死んでいた子どもの姿を。服が全てはぎ取られ裸のまま水に浮いていた子どもの姿を。足が反対に折れ、そこにがれきが刺さったままの子どもの姿を。捜査が遅れたためにはるか仙台湾沖まで流された子どもの遺体を。素手で泥やがれきをかき分けて、血だらけになりながらも必死で捜索する親の姿を。泥まみれになったわが子の体を拭く術もなく、舌でなめて泥を洗い、はなをすすって清めるしかなかった親の思いを。やむを得ず土葬しなければならなかった親の思いを。生き返るのではないかとためらいながら火葬した親の気持ちを。最愛のわが子の火葬のボイラーを押す時の親の無念さを。いまだに見つからない4名の子どもがいることを。震災から5年7カ月、いまだに必死になって探し続ける親の執念を。これはドラマや映画、小説ではないんです。大川小学校で5年7カ月前の3月11日に実際に起きたことです」

 勝訴判決については「大川小の悲劇を繰り返さないよう未来の命につながる判決。息子のなくなった命が生かすことができる」と語った。

 争点は「津波の予見性」だった。高宮裁判長は判決理由で、教員らが午後3時30分ごろまでに、学校の前を通った市の広報車による高台避難の呼び掛けを聞いており「津波が大川小に襲来することを予見できた」と判断。教員らが大津波が襲来することを予見していた中で「三角地帯」と呼ばれる堤防付近に避難したことは不適当であり「裏山に避難すれば、児童の被災を免れることは可能だった」とし過失を認めた。

 同35分ごろ、標高約7メートルの「三角地帯」に向けて校庭を出発。同37分ごろ、整列し、歩いて避難していた子どもの列に津波が到達し、教職員10人も含めて命を落とした。津波は約8・7メートルだった。

 勝訴となり今野団長は「法的に、行政側の責任が認められた。また検証のテーブルについて、本当の事実、真実を親として、なぜ子どもが死んだのかを知りたい。その真実の解明が、次の命を守ることにつながっていく」と再検証の覚悟を決めた。

 今後の焦点は唯一生き残ったA教諭に対し、聞き取り調査ができるか。裁判を起こした原点もA教諭の証人尋問だった。しかし、精神疾患を理由に証言台に立たなかった。

 A教諭は震災直後、津波にのまれたが助かったとしていたが、A教諭が避難した自動車整備工場の関係者は「水にぬれていなかった」と証言している。長女未捺(みな)ちゃん(当時小3)を亡くした只野英昭さんは「彼の真実の言葉を聞きたくて裁判を起こした。うその証言をしているのは間違いない。必ず、彼はテレビを見ているはず。彼の話を聞きたい」と訴えた。再開を目指す検証作業でもA教諭の聞き取り実現が中心となってくる。