<ロッテ5-4楽天>◇12日◇QVCマリン

 掘り出しものルーキーが鮮烈にデビューした。ロッテのドラフト4位、加藤翔平外野手(22)が球史に名を残した。1軍合流初日に「7番右翼」でスタメン出場。プロ初打席となった3回に永井の初球を捉え、先制の1号ソロ。内野安打2本も放ち、猛打賞をマーク。初打席初球本塁打は、新人では史上2人目の快挙だ。チームは今季4度目のサヨナラ勝ちで、2位西武とゲーム差を1・5に広げ、単独首位で交流戦突入を決めた。

 季節外れの夏日となった日曜の昼下がり、QVCの2万人を熱くしたのは、フレッシュマン加藤の一打だった。3回無死。永井の真ん中高め124キロのチェンジアップを振り抜く。打球は大きな弧を描き、右翼席へ。「一番飛ぶところに来ましたね。初安打がホームランになるなんて。自分でもビックリです」と大喜びだ。初打席、初球、初安打、初本塁打、初打点。初物ずくめのメモリアルアーチに、スタンドからは歓声とため息が入り交じった。

 驚異かつ強運のルーキーだ。左太もも裏痛の角中に代わり、この日1軍に初合流。「相手にデータがない分、警戒されないだろう」(伊東監督)との理由でスタメンに抜てきされた。楽天永井とは2軍で2打席対峙(たいじ)しただけだが「ボールの軌道も分かっていました」と攻略した。4回と8回には凡打を、手動計測で50メートル走5秒68の俊足で内野安打にした。

 ロッテには格別な思いがあった。小3の夏休み、両親と初観戦したプロの試合が、東京ドームでのロッテ-日本ハム戦。「福浦さんが弾丸ライナーのホームランを打ってたんです。かっこいいなあと思いました」と振り返る。当時絵日記にしたためた思い出は、色あせることなく刻み込まれた。

 ロッテでは活躍選手を輩出しているドラフト4位ルーキーだ。キャンプは1軍フル帯同。俊足巧打、強肩のスイッチヒッターとして伊東監督の期待も大きかった。だが紅白戦や練習試合では打てていた安打が、オープン戦でピタリと止まった。2月24日を最後に、2軍降格。「あそこで結果が出せなかった。だから、このチャンスはどうしてもものにしたかった」。2軍でコンパクトスイングと確実性を身に付け、3割3厘の実績とともに戻ってきた。

 この日は母の日。スタンドでは両親と弟が観戦していた。カーネーションの花を贈っていたが、あらためて、母清美さん(53)にホームランボールを手渡した。「今日は、野球っていいな、楽しいなと思えました。打ったのが全部左打席だったので、次は右でも打ちたいし盗塁もしたい。1軍に定着したいです」。照れた笑顔と明るい未来は、白球とともに最高のプレゼントになった。【鎌田良美】<加藤翔平(かとう・しょうへい)アラカルト>

 ◆生まれ

 1991年(平3)3月28日、埼玉・加須市。

 ◆球歴

 小2から野球を始める。中学は陸上部で野球は加須シニア所属。春日部東では甲子園出場なし。上武大4年春に盗塁王、同秋に打点王。

 ◆サイズ

 183センチ、84キロ。

 ◆スイッチ

 右投げ両打ち。高1で俊足を生かすため左打ち挑戦。

 ◆趣味

 野球もの中心に1000冊の漫画を所持。好きな漫画は「4P田中くん」。

 ◆サラブレッド

 母清美さん(53)は陸上7種競技で国体出場。父正さん(59)もやり投げで国体9位。父とは少年野球チームで親子鷹。打てないと「振ってこい」とバットを渡され、家の鍵を掛けられた。

 ▼ルーキー加藤が3回のプロ初打席で初球を本塁打。初打席本塁打は今年3月29日ロペス(巨人)に次いでプロ野球54人目となり、ロッテでは02年4月8日塀内以来6人目。初打席の初球を本塁打したのは01年5月1日ショーゴー(中日)以来7人目だが、過去6人のうち5人はプロ2年目以降の選手。初打席の初球で本塁打を打った新人は、50年5月11日に投手の塩瀬(東急)が大映戦で記録して以来、63年ぶり2人目の快挙だ(塩瀬はプロでこの1打席だけで引退)。加藤は4、8回にも内野安打。デビュー戦で初打席本塁打を含む猛打賞は、83年4月10日駒田(巨人=3年目)95年6月21日稲葉(ヤクルト)に次いで3人目。パ・リーグでは初めてだ。駒田と稲葉は2000安打を記録する選手へ成長したが、加藤はどうか。

 ◆塩瀬盛道(しおせ・もりみち)1931年(昭6)5月生まれ。竜ケ崎中(現竜ケ崎一高)から国学院大へ。大学に籍を置きながら50年に東急(現日本ハム)入団。5月11日大映9回戦(後楽園)の5回裏2死、0-18から登板。6回表の初打席で本塁打。その後出場することなく、この年で退団。大学卒業後は熊谷組へ。その後、国学院大監督も務めた。01年没。