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2004.09.12付紙面より
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| 写真= 忠臣蔵の撮影の合間、浴衣に汗取りタオルをつけたままインタビューに答えてくれました。取材日は多少涼しい日でしたが、撮影では真冬の和装の上でかなりの高熱を発するライトに照らされ、汗だく。そんなつらい撮影でも、いつでも決して笑顔を忘れないのが印象的でした。暴れん坊将軍にマツケンサンバ…。ちょっと濃いキャラのイメージですが、実物はとにかくさわやか。長寿番組を支える人気の秘密が分かったような気がします
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| (撮影・山崎虎之助) |
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マツケンサンバで弾けた!瞳も衣装もキラキラ50歳
暴れん坊将軍からマツケンサンバへ−。今年で芸能生活30周年の松平健(50)が、ど派手衣装で歌って踊る「マツケンサンバ2」で大ブレークし、大みそかのNHK「紅白歌合戦」初出場の可能性も高いという。10月には念願だった大石内蔵助役で主演するテレビ朝日「忠臣蔵」もスタートする。陽気なサンバのリズムに乗って、節目の年をノリノリで突き進んでいる。
太陽にほえろ!?
人生に「if(イフ)」はついて回る。これまでを振り返って「もし、あの時〇〇〇していたら」という思いを1度や2度、抱いたことのある人は少なくないだろう。松平健にとっての「if」とは−。
(1)もし石原プロモーションに入っていたら 日活映画を見て、石原裕次郎、渡哲也にあこがれた。「あんな俳優になりたい」。16歳のとき、母が貧しい中から手渡してくれた3万円を持って、愛知・豊橋市から上京した。東京・成城の石原邸に弟子入り志願で押し掛けたが、留守で会えなかった。石原プロに電話したところ「今は俳優は採っていない」と言われ、弟子入りを断念。石原プロに入っていたら「太陽にほえろ」で活躍する松平が見られたかもしれない。
(2)もし坂東玉三郎の相手役に選ばれていたら 78年に玉三郎主演の日生劇場「天守物語」の相手役のオーディションを受けた。最終候補3人に残ったが、選ばれなかった。しかし、オーディションを報じた記事がテレビ朝日の新番組「暴れん坊将軍」の主役を探していたプロデューサーの目に止まった。フレッシュな若手俳優という条件にはまり、数度の面接を経て、8代将軍吉宗役を手にした。玉三郎の相手役に選ばれていたら、スケジュール的に「暴れん−」主演は不可能だった。
京都・太秦の東映京都撮影所で、「忠臣蔵」の撮影に入っている松平はしみじみと回想した。
「ちょっとしたことで、えらい違いになる。人生って分からないね」。
夢の大石内蔵助
何が起こるか分からない人生で、実力で大石内蔵助役を手にした。25年前に出演した「忠臣蔵」では萬屋錦之介の内蔵助で、浅野内匠頭を演じた。
「その時に、50歳になったら内蔵助をやりたいと思った。25年かかって、その夢が実現して、うれしい半面、プレッシャーや責任も感じている。内蔵助は忠義の心を持って、まっとうする。辛抱強さが魅力。耐え忍ぶというところでは、僕に似ているかもしれない。いつも寡黙なんですが、今回は長ぜりふが多く、余計集中してやっています」。
内蔵助役は時代劇俳優ならだれもがやりたい役。過去には片岡千恵蔵、長谷川一夫ら大御所が演じた。
「夫婦愛、家族、上司と部下の関係など、どこをとってもドラマがあり、時代劇の基本が詰まっている最高の作品。乱れた今の世の中だからこそ、日本人が持っていた人情や忠義心を見てほしい。心を奮い立たせるドラマにしたい」。
居酒屋より銀座
7人兄姉の末っ子に生まれた。7番目だから、名前も「末七」。裕次郎への弟子入りを断念した後、故郷には帰らなかった。青果店に住み込んだり、運送業をして、チャンスを待った。20歳で勝プロに入り、生涯の師匠となる勝新太郎に出会った。半年ほど付き人として仕え、75年に勝主演のドラマ「座頭市」でデビューした。
「芸能界にあって一番の恩人。安い居酒屋に10回行く金があるなら、銀座のクラブに1回行け、とよく言われた。そして、そこにいる人間をじっくり観察しろとも。映像にはその人のプライベートが出る。焼き鳥屋にいるやつは、その色がすぐ出てくるんだ、と」。
その言葉を守り、2か月ぶっ続けでクラブに通った。仲間3人でジュース1杯ずつとって、1時間ほどで18万円を払ったことも。勝プロをやめた時、その借金がかなり残っていた。
「勝さんから『弓で矢は放った。飛び続けていくのもお前次第なら、落ちてしまうのもお前次第。自分の力でやっていけ』と言われた。その後も会うと、目を見て『目が死んでいる』と言われたこともあったけど、少し落ち着いてしまったのかもしれない。いつも目をキラキラさせろということだったんでしょう。会う時はいつも緊張していた」。
「暴れん坊将軍」でスターとなった後も、怖い師匠だった。付き人時代に最高の「ステージ」を見ている。勝と裕次郎の歌合戦だ。
「今考えると、すごいこと。朝5時まで続いたけど、最高のものを見させてもらったなあ。裕次郎さんには、自宅まで押し掛けたことは最後まで言えなかったですね」。
離婚「いい経験」
「暴れん坊−」シリーズは、03年に終わるまで25年、830回続いた。最初は1ケタ台の視聴率で打ち切りの話も出たが、第2弾から視聴率が上向き、15%台の高視聴率をマークした。
「人生の半分やってきたわけだから、僕にとって大事な作品。あれだけ長くやると、途中であきたんじゃないかと言われるけれど楽しかった。将軍が街中に出ていくという設定がユニークで、レギュラーの仲も良かった。常に新鮮さ、青年将軍のさわやかさを失わないように心がけた。ゲストも多彩で、ほとんどの女優さんが出演したんじゃないかな。美空ひばりさんは3回も出てくれた。いろいろな人の芝居を見て、話もたくさん聞けたことが面白かった。年1、2回のスペシャルでいつまでも続けていきたい」。
昨年「暴れん坊−」終了とともに、私生活でも重大な決断をした。女優大地真央(48)との離婚。90年に結婚し、14年目の破局だった。離婚後は会見もせず、多くを語ってこなかった松平だが「いい経験をさせてもらいました」と淡々と振り返った。
紅白「応援なら」
「暴れん坊−」の舞台が10月に新宿コマ劇場(2〜29日)で上演されるが、実はミュージカル版。タイトルは「暴れん坊将軍スペシャル 唄って踊って八百八町」。
「3年前に歌あり踊りありの時代劇の舞台をやったら、評判が良かった。じゃあ『暴れん坊−』もミュージカルでやろうと思った。将来は『忠臣蔵』のミュージカル版も考えている。ラブストーリーがあるし、コスチューム的にも面白くなるはず」。
今年は思わぬブームの渦中に置かれた。金ラメ衣装に大勢のダンサーを従えて派手に歌い踊る「マツケンサンバ2」が、音楽誌オリコンで上位にランクされた。「マツケン音頭」「マツケンマンボ」「マツケンサンバ1」、そして「−2」と、ショーのフィナーレの定番曲だったが、今年、ワイドショーなどで紹介されると、一気にブレークした。
「もう10年以上も前からやっているのに、今なぜ、ブームになったのか分からない。ノリがいいのと、コスチュームの意外性がうけたのかな。今まで将軍とか新さん(徳田新之助=『暴れん坊将軍』で吉宗の変名)としか呼ばれたことがなかったのに、今は若い人に『マツケン』と言われて戸惑ってしまう。渋谷でやったイベントでは若い人が多かった。渋谷には派手な独特のファッションの子が多いけれど、僕を同類と思って、親しみを感じてくれたのかな」。
キンキラ衣装は松平のアイデア。「サンバといえば、光もののイメージだからね」。生地をイタリアやニューヨークに特注してつくった。大みそかのNHK「紅白歌合戦」初出場の可能性が高いと言われるが、実は本人はここでも困惑している。
「1部と2部の間の応援で出るのが一番いいね。白組で出場? それは嫌だな。だって、コイツのせいで(歌手が)1人落ちたと思われて、楽屋にいても居心地が悪いよ」。
将軍様は、気の優しい気配り人間だった。
夫の優しさで私達“いい夫婦”です
内蔵助の妻りく役の田中好子(48) 松平さんは内蔵助のイメージにぴったりだと思います。内蔵助同様、口数が多いわけではありませんが、大変やさしい人です。私がりくを演じるに当たって一番大変だったのは「所作」でした。松平さんはちょっとでも私が悩んでいる様子を見かけると、すぐに教えてくれました。さすがに長く時代劇をやっていらしているだけあって、その指導には大変助けられました。現場のそんな雰囲気が画面に伝わって、私たちの「内蔵助とりく」の夫婦はとてもいい感じになっていると思います。
◆松平健(まつだいら・けん) 本名鈴木末七。1953年(昭和28年)11月28日、愛知県生まれ。75年、フジテレビ「座頭市」でドラマデビュー。78年スタートのテレビ朝日「暴れん坊将軍」の徳川吉宗役が当たり役となり、昨年終了まで出演した。舞台は80年に新歌舞伎座「吉宗評判記 暴れん坊将軍」で初座長となり「風と共に去りぬ」「王様と私」が代表作。来年のNHK大河ドラマ「義経」には弁慶役で出演する。90年に大地真央と結婚したが、03年に離婚。178センチ。血液型B。
◆テレビ朝日「忠臣蔵」 10月18日から、月曜午後7時。出演は松平のほか、りくに田中好子、浅野内匠頭に沢村一樹、吉良上野介に伊東四朗。ほかに藤田まこと、北大路欣也、橋爪功、片岡鶴太郎、津川雅彦、村上弘明、野際陽子らが出演する
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