平原康多(34=埼玉)が通算6度目のG1戴冠を飾り、KEIRINグランプリ(GP)の最終切符をつかんだ。最終3角まくりで番手の武田豊樹(42=茨城)を連れてワンツー。2着の武田を獲得賞金でGP参戦へ導いた。平原は悲願のGP初制覇をかけて、12月30日の大舞台へ加速する。

 今年最後のG1は、今年初タイトル獲得となった「平原劇場」で鮮やかに完結した。平原康多はG1制覇でGP切符を獲得して、番手の盟友武田豊樹とワンツー。武田を獲得賞金ランク8位に押し上げ、最後の最後で、ともにGPの大舞台に立つシナリオを鮮やかに完遂してみせた。「どちらが1着でも2着でも(2人でGPに)間に合った」。ゴール直後の荒い息の中で第58代競輪王は会心の笑顔を見せた。

 GPサバイバルは激闘だった。赤板前に先頭誘導員を切った深谷知広が先行態勢。打鐘8番手からカマした新山響平との主導権争いは深谷に軍配。その動きをじっと4番手で見据えた。「新山が浮いたが、新田も自分の外で動かない。コースがないと思った瞬間に稲垣さんが仕掛けてくれた」。最終バックからまくった稲垣をすかさず追走して、3角から猛ダッシュ。「絶対に抜かれない」と確信したゴール後に右腕を突き上げた。

 平原の1年を漢字で表すなら「苦闘」だ。G1開幕の2月全日本選抜は初日特選で失格、3月日本選手権も準決落車。「前半戦には、この舞台に立っていることが想像できなかった」。ミスが許されない舞台も宿舎の空調が合わず「のどがおかしい。風邪…」とビタミンC入りドリンク剤をがぶ飲みしてしのいだ。

 平原、武田という輪界の大看板が最後の最後にそろい踏み。GPの役者は出そろった。「年末の1走にかける」。大一番では苦しんで苦しみ抜いた1年にけりをつける。【大上悟】

 ◆平原康多(ひらはら・こうた)1982年(昭57)6月11日、埼玉県狭山市生まれ。川越工高卒。日本競輪学校87期生で在校8位。02年8月西武園デビュー。06年8月ふるさとダービー富山でG2優勝。09年6月高松宮記念杯でG1初制覇。G1・6冠。通算998戦287勝。通算取得賞金8億9718万7200円。185センチ、97キロ。