福岡ボートでは「開設63周年記念競走 G1福岡チャンピオンカップ」が1日から6日間、開催される。当地のSGダービーを制したばかりの瓜生正義に、昨年の周年覇者・山崎智也、地元から篠崎元志、仁志兄弟ら豪華選手が参戦。当地周年初制覇を目指す平田忠則は、「ボートレーサーへのハローワーク」で、ボートレーサーを目指す若者への思いを熱く語った。

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 ボートレーサーへの道のりは険しい。試験を経て、「やまと学校」(来年4月から「ボートレーサー養成所」へ名称変更)を卒業して念願のデビューとなる。

 <1>入学試験

 第一次、第二次、最終試験を受け、合格すれば入学できる。中には5回以上の試験を受けて、ようやく入学を果たした苦労人もいる。内容は学科試験、体力試験、身体検査、面接など。

 <2>入学

 1年間、ボートレースに関することを「やまと学校」で学ぶ。乗艇や整備技術に関することはもちろん、学科や社会人としてのマナーを学ぶ。

 <3>デビュー

 卒業レースを経て、各支部に所属。念願のデビューを迎える。

 -なぜボートレーサーになろうと思ったのか

 平田忠則(以下、平田) もともと、工業系の学校に通っていたこともあって、機械は大好きでした。機械関連のものに乗って、しかもお金を稼ぐことができると思ったのがボートレースの魅力です。僕は趣味でカートをやったりしますが、参加費を払って参戦しています。それなのに、ボートは自分で稼ぐことができる。こんなに楽しい職業は他にないと思います。

 -中学、高校時代の部活は? 

 平田 ずっと野球をしていました。選抜大会(春の甲子園)に何度も出場していた博多工に進学しました。当時は期待されていたと思います。守備は二塁で、2番打者。スイッチヒッターでした。ただ、途中でやめることになりました。

 -ケガをした?

 平田 高1のときでした。右膝の軟骨に傷が入りました。病院の先生から「このまま続けたら、膝が使えなくなる」といわれてやめました。監督やチームの期待に応えられなくて、申し訳ないという気持ちが強かったです。

 -小さいころ、なりたかった職業は

 平田 プロ野球選手です。小さい時は西武ファンでした。小学生で平和台のスタンドでトランペットの練習をしていたぐらいです。その後は、ダイエー(現ソフトバンク)ファンになりました。親の知り合いが田淵(幸一)監督(当時)と仲が良かったこともあって、会う機会が何度もありました。練習も見学に行ったことがあります。

 -憧れた野球選手は

 平田 秋山幸二さんです。西武時代、清原(和博)さんと2大スターでした。自分のタイプを考えた場合、走って守れる秋山さんだと思った部分があります。他なら辻(発彦)さんです。守備もバントもうまい。広角打法という点では目指していた部分もあります。

 -部活をやってボートで役に立ったことは

 平田 僕の場合、中学、高校時代と部活やクラブチームでやってきた練習が厳しかったです。確かに、本栖(当時の訓練学校)での指導は本当に厳しかったです。それでも過去の苦しい練習を思い出して、乗り越えることができました。メンタルの面では、どんなに厳しいボートの訓練でも乗り越えるだけの土壌はできていましたね。

 -選手になって苦労したことは

 平田 やはり減量です。高校時代は58キロぐらいありました。そのときは背筋や足にも筋肉が付いていました。野球をやめたことで多少、筋肉が落ちた部分は、かえってプラス材料でした。ルーキーのころも55キロはあったと思います。その後は体の鍛え方も変わってきていると思います。

 -体の鍛え方も体重を気にしないといけない

 平田 筋トレだけというわけにはいかないですね。インナーマッスルを中心に鍛えることを覚えて、体にしなやかさが身についたと思います。今でも“しなやかさ”は大切にしています。イメージはインナーマッスルが強くて、外側の筋肉は柔らかい感じです。筋肉を付けるだけだと、体重が増えてしまいます。

 -ボート選手にならなかったら

 平田 おそらく自動車をいじっていると思います。高校、大学ともに自動車関連の学科でした。機械を扱うのは好きです。

 -ボートレーサーになって良かったことは

 平田 高校の同級生と話していたら、ローンを組んだり、お小遣いの少なさの話になります。僕らは結果を残していれば、欲しいものが手に届きやすいというメリットはあります。僕は車にお金をかけています。今でも3台所有しています。一時はフェラーリに乗っていた時もあります。頑張った分だけ、報われると思います。この仕事をやって良かったですね。あと、ファンの方から声をかけてもらえます。そういう意味では、うれしいですね。

 -ボートレーサーを目指そうとしている人へ

 平田 野球に限らずサッカーを含めて、体格が小さい人ならチャンスはある。他の種目でプロになれなかった人にもチャンスはあります。部活でスポーツをやっていた人はもっとボートレーサーになってほしい。体を鍛えたことを将来生かせる職業です。簡単に結果を残せる仕事ではないかもしれません。でも身についたことが確実に収入になって返ってきます。エンジンに関してもレースに関しても、研究して体で覚えたことは将来、役に立ちます。

 ◆平田忠則(ひらた・ただのり)1976年(昭51)11月13日、福岡県生まれ。80期生として97年5月福岡でデビュー。初戦でデビュー初勝利。G1は03年7月若松周年で初優勝し、通算優勝4回。同期に白井英治、重成一人らがいる。166センチ、52キロ。血液型A。