平原康多(41=埼玉)が悲願だったダービー王の称号をつかんだ。
吉田拓矢のカマシ先行を差し切り、21年寛仁親王牌(弥彦)以来3年ぶり9度目のG1優勝。オールスターを残してグランドスラム(G1・6冠全制覇)に王手をかけ、賞金8900万円、KEIRINグランプリ(GP、12月30日・静岡)の出場権も手にした。
今年のG1は全日本選抜の郡司浩平に続き、S級S班陥落組の復活Vとなった。
2着に岩本俊介が突っ込み、古性優作は3着に終わった。
常にラインのことを第一に考えてきた男が、ラインの力で夢をつかみ取った。
決勝は、時にはぶつかり、厳しいことも言ってきた吉田が前回り。いつも平原の背中を追ってきた武藤が3番手を固めた。強力なラインだが、下馬評は高くない。人気は単騎の清水や古性に集まった。現にゴールデンレーサー賞でも古性に内からはじかれ「力の差を感じた」と現状を受け止めていた。
しかし、吉田は仕掛けるチャンスを逃さなかった。武藤は内から進入した諸橋をシャットアウトした。
「ヨシタク(吉田)がどんな展開でも力でねじ伏せてくれると信じて走った」。伝えてきたこと、やってきたことが全て報われた。表彰式のステージ上では、安堵(あんど)の涙をこらえ切れなかった。
脇本雄太という存在の登場で、競輪界はスピード化が進んだ。平原も追いつくために、体への負担が大きいフレームに乗り続けて、座骨神経痛を患った。さらに、昨年は落車過多もあって常に満身創痍(そうい)の状態だった。ついには一部のファンや関係者の間で「限界説」までささやかれた。
直前の地元西武園G3で平原は原点に返ろうと、自分が強かった10年前のフレームに乗り替えた。そして、本当の自分を取り戻した。初挑戦は06年3月の立川。「20年近く、どんなに絶好調でも勝てなかった大会。まだ復調途上の段階だけど、夢だった日本選手権を勝てて、信じられない気持ちです」。
G1で戦える選手が増えた関東の中心には、まだまだ平原が必要だ。【松井律】
◆平原康多(ひらはら・こうた)1982年(昭57)6月11日生まれ、埼玉県狭山市出身。川越工高で自転車競技を始め、競輪学校(現選手養成所)87期生として02年8月にデビュー(西武園・予選1、準決2、決勝9着)。G1は09年高松宮記念杯で初制覇し、今回が21年寛仁親王牌以来となる9勝目。G2は2勝。通算1553戦505勝。通算獲得賞金は16億7423万900円。185センチ、95キロ。血液型A。





























