名古屋は3日、ドラガン・ストイコビッチ監督(48)が契約満了に伴い、2013年シーズン末をもって退任すると発表した。

 現役時代から「ピクシー(妖精)」の愛称で有名だった同監督は、華麗なプレーで魅了した世界的名手。Jリーグでは名古屋で8年間プレー。元日本代表MFの横浜中村俊輔(35)ら、数多くの日本人選手に影響を与えた。

 激情家で試合中に主審からイエローカードを取り上げて逆に提示し、レッドカードを受けて退場したシーンも、今となっては懐かしいJリーグの歴史の一部。

 08年に低迷する古巣名古屋の監督に就任した。Jリーグでの指揮に必要な指導者ライセンスを取得し、初めて監督業をスタートさせた。現役時代にベンゲル、オシムという名監督に指導を受けた経験も生かし、いきなりJリーグに旋風を巻き起こし就任初年度をリーグ3位で終える。10年には悲願のリーグ初制覇。圧倒的な手腕とカリスマ性で、チームを再生した。

 監督になっても、選手よりも圧倒的な技術を持ち、時折練習でもそのテクニックを披露していた。09年の横浜戦(日産ス)では、相手のクリアボールをベンチからダイレクトで相手ゴールに蹴り込む“革靴ボレーシュート”を披露。これで退席処分を受けたが、世界中で話題となった。このシーンは日本の人気テレビ番組『マツコ有吉の怒り新党』(テレビ朝日系)の「新・3大○○調査会」という人気コーナーでも紹介された。

 日本、名古屋をこよなく愛している。好物はアユの塩焼きと納豆、そして飲料の「C.C.Lemon」。頭も良く、セルビア語のほかに英語、フランス語、イタリア語を話し日本語もほぼ理解できる。交友関係も広く、欧州連盟(UEFA)のプラティニ会長など、サッカー界に限らず世界レベルの人脈がある。

 Jリーグ創生期から活躍を続けてきた。選手でMVP、監督で最優秀監督の両賞を受賞したJリーグの顔ともいえる人物。屈指のスターだけに、退任決定は寂しい。