2541日ぶりに笑って泣いた。原江里菜(27=NEC)が3バーディー、2ボギーの71で回り、通算9アンダー207で08年NEC軽井沢以来の2勝目を挙げた。単独トップでのスタートからアン・ソンジュ、イ・ボミの韓国勢とのデッドヒートを制した。初勝利後の10、11年にシードを逃すどん底を味わったが、森守洋コーチ(38)と二人三脚で復活を遂げた。新垣比菜(沖縄・興南高2年)が7位に入り、88年のツアー制度施行後、アマチュア選手初となる3週連続トップ10入りを達成した。

 涙をこらえるのに必死だった。原は数十センチ残ったウイニングパットを間髪入れずに打った。「早く打たないと感極まっちゃうと思ったから。やっと解放されました」。2番でアンに追いつかれ、4番では1メートルのパーパットを外して2位に転落。それでも「立場が逆転して吹っ切れた」という。さらに14番のリーダーボードでイが8アンダーでホールアウトしたことを確認し「スイッチが入った」。3打目をピンそば50センチに寄せるバーディーでトップに並ぶと、15番ではバンカーからの第2打をピン左2メートルにつけるスーパーショット。連続バーディーを奪った。

 初優勝から2勝目までの6年350日は、ツアー史上4番目に長いブランク。その間に地獄を見た。「3、4年くらいゴルファーとして機能してなかった」。11年には10試合連続予選落ち。森コーチは指導を始めた時のことを「スイングがぐちゃぐちゃ。プロレベルじゃなかった。『これでどうやって勝ったの?』って思った」と振り返る。それからは正しい体の動きを覚え込ませる地道な積み重ね。「森さんに導かれて、救われた。1人じゃ立ち向かえなかった」と感謝する。

 安定感を取り戻しても、2勝目だけが遠かった。「フローゴルフ」などメンタル系の自己啓発本を読みあさり、永久シード保持者の不動に相談もした。その不動の指摘でルーティンの素振りの回数を減らした。前日の夜、原が勝てない自分がどう見られているか気にしていたという記事を見た森コーチから電話があった。「みんな江里菜を強いと思っているから大丈夫」。ひたすらもがいて、周囲に助けられ、やっと勝てた。

 最終18番、原より先に泣いていた森コーチは「賞金女王になれる器がある」とまで言う。「若い選手は勝ったら人生が変わるけど、今優勝したからといって住む世界が変わる立場じゃない。私は結果を残し続けるしかない」。原の新たなゴルフ人生が幕を開けた。【亀山泰宏】

 ◆原江里菜(はら・えりな)1987年(昭62)11月7日、愛知県生まれ。10歳の時、父祐治さんの勧めで坂田塾東海校でゴルフを始める。01、05年日本ジュニア優勝。東北高から東北福祉大へ進み、06年日本女子学生選手権優勝。06年最終予選会で43位に入り、07年からプロに転向してツアー参戦。昨季は予選落ちが1回もなく、総合力を示すメルセデス・ランキング3位。165センチ、60キロ。

 ◆初優勝から2勝目までのブランク 最長は中嶋千尋の9年297日。88年6月19日のダンロップレディスオープンで初優勝し、98年4月12日の健勝苑レディース道後で2勝目。柏戸レイ子の7年349日、藤村政代の7年313日と続く。

<原の初優勝から7年>

 ◆08年 8月のNEC軽井沢で初優勝。通算21アンダーの195は日本人選手の最多アンダーパー記録(54ホール)だった。

 ◆10年 開幕から10試合で7度の予選落ちなど、トップ10に1度も入れず。ニトリレディースでは誤球による失格も経験。

 ◆11年 10試合連続を含む17試合で予選落ち。2年連続でシードを逃す。

 ◆12年 日医工女子オープンで2位に入るなど賞金ランク38位でシード復活。

 ◆14年 11月の伊藤園レディースで最終日首位スタートも16番から3連続ボギーで失速し、4位に終わる。

 ◆15年 7月のサマンサタバサ・レディースで最終日に65を出すも1打及ばず。優勝は、前年伊藤園レディースと同じ前田陽子だった。