<男子ゴルフ:東建ホームメイト杯>◇第1日◇17日◇三重・東建多度CC名古屋(7109ヤード、パー71)◇賞金総額1億3000万円(優勝2600万円)

 主催者推薦でツアーデビュー戦となった大津将史(42=フリー)が、30オーバーの101の大たたきを記録した。記録の残る1985年以降では歴代2位の最多スコア。ワースト記録はスコア誤記による「122」だが、事実上のツアーワーストスコアとなった。5アンダー66の首位に谷口徹、大堀裕次郎ら5人が並んだ。

 帽子からシューズまで、ピンクずくめの大津が最終18番グリーンにやってきた。掲示板の「+29」の数字にギャラリーからざわめきが起きた。最後もボギーで、スコアは30オーバーの「101」。事実上のツアーワーストだ。

 ぶっちぎりの最下位に沈み「OBも5、6発打って、9個持っていたボールが15番であと4個。ハラハラした」と振り返った。この日がツアーデビュー戦だった。今大会のスポンサー、東建コーポレーションのイメージキャラクターで俳優菅原文太と知り合いの縁もあり、主催者推薦を受けた。

 02年にツアー予選会を受けた時に「プロ宣言」したが、本業は会社を経営する“社長さん”。プロならこれだけ大たたきすれば、棄権も考えるが「こんな晴れ舞台は2度とない。夢でしたから」。妻と3人の娘も応援に駆けつけていた。

 1番ではバンカーで3回たたいて、ダブルパーの「8」。「あれでバンカーの打ち方が分からなくなった」。唯一のバーディーの15番と、パーとした16番以外の16ホールはすべてボギー以上のスコアが並んだ。同組でマーカー役の正岡は「スロープレーで罰打もいやなので、結構走ってもらいました」とあきれ顔だった。

 大津は「101匹わんちゃんだったよ」と照れた。3年前に養子縁組で「大津姓」になった。かつては「藤田将史(ふじた・まさし)」。12年賞金王の藤田寛之とレジェンド尾崎将司。ゴルファーなら最高の名前だった大津は「明日はオレンジ一色で20打は縮めてやる」とめげずに言った。【町野直人】

 ◆大津将史(おおつ・まさし)1972年(昭47)4月3日、岐阜県生まれ。ゴルフは美濃加茂高1年から始め、90年日本ジュニア出場。ツアープレーヤーに転向したのは02年8月で、予選会は3回受験も出場権は得られなかった。出場優先順位は1367位。本人いわく師匠は故セベ・バレステロス(スペイン)。仕事は自営業。167センチ、89キロ。

 ◆主催者推薦選手

 主催者に出場権を与えられた選手。主な例は開催コース所属プロや、主催者と契約関係にあるプロ、話題性があるプロやアマなど。マンデー予選を開催して決める大会も多い。出場総人数の15%以下なら主催者は自由に選べる。プロは2次以上のQT出場者が条件で年間6試合まで推薦を受けられる。

 ◆ツアー18ホールワーストスコア

 記録上では1987年(昭62)の東海クラシックで鈴木規夫の「122」。アウト9番の欄にアウトの合計スコア「42」を誤記入したため。実質ワーストは85年関東オープン高尾賢治、87年関西プロ丸山仁義の「93」。今回の大津の「101」は事実上のワーストスコアとなる。ちなみに最少スコアは10年中日クラウンズの石川遼の「58」。