野球取材の現場は無数にある。いつもと違う場所に「何かのご縁なので」と行ってみる。高校球界では無名の公立校・菅(すげ=神奈川)に突如、ドラフト候補が現れたと耳にした。「菅」の響きに20年前を思い出し、多摩の丘を登った。

   ◇   ◇   ◇   

東京・稲城と神奈川・川崎の市境あたりにジャイアンツ球場がある。約20年前、新人記者だった頃。巨人担当の下っ端として毎日のように訪れた。

「おい、さっき地べた座って練習見てただろ」

観察眼鋭いベテラン選手からの指摘は、今も仕事への姿勢に生きている。あの怖いベテランより年上になり、サラリーマン人生をちょうど折り返した。

「菅高校の投手が速いらしいぞ」

まだ寒い時期、球界関係者から「菅」と耳打ちされビクッとした。ジャイアンツ球場は菅仙谷(すげせんごく)という地名にある。これも縁だ。行こう。

20年ぶりの菅仙谷はだいぶ様変わり。新施設の工事も進む。歩いて25分、ジャイアンツ寮に着いた…と思ったらすでに移転済み。この旧寮から徒歩5分、550歩ほどのところに菅高校はそびえていた。

高台の校庭からは遊園地のアトラクションも少し見える。お目当ての岩瀬将投手(3年)は「行事で行く以外、あまり行かないですね。けっこうインドア派で」。すぐ近くにはプロ野球の球場があるのに「見に行けって、よく親に言われるんですけどね」と、あまり縁はないようだ。

昨夏は1回戦敗退、出場は代走のみ。そんな彼があれよあれよと成長し、最速143キロ右腕としてプロ11球団から問い合わせが来るドラフト候補になった。景色が変わっていく。

「そうですね、なんかめっちゃ変わりました」

高校2年生、進路を考える時期。「俺、まじで希望進路ないな…どうしよう」と思っていた秋、練習試合で強豪校相手に直球一本で14奪三振の快投を演じた。「相手も首かしげたり、なんで打てないんだろうみたいな感じしてて」。自分の可能性に気付き、練習強化と体重増に励んだ。

米カリフォルニア州で生まれ、小学校入学直前で日本に定住した。昔飼っていた愛犬の名は「ロス」だった。佐々木麟太郎のような米国留学は「分からなすぎるというか、未知なんで」と断念したものの「自分もアメリカ好きなんですよ」と目を輝かせる。

「すごく明るい人が多くて、めちゃ優しくしてもらった記憶があって。あと、シンプルに食べ物が好きで。味が濃くて。日本に来たら『薄っ』って」

これもまたご縁。私も取材の3日前まで旅行でカリフォルニアに滞在した。英語はからきし。アルカトラズ島のガイドの話に皆が爆笑し、私は愛想笑いをした。英会話って、どうやればこなせるんだろう。

「自分も全然しゃべれないですよ。でも難しく考えすぎないで、知ってる単語を言っておけば、あっちの人、めっちゃ明るいんで、たぶん理解してもらえると思います」

ありがとう-。そんな17歳の彼も、半年後は「次」に直面する。「半年後…どうなってるんですかね。10月、みんな進路決まる頃なんで。プロに…なっていたいですね。なりたいです」。希望を胸に投げる。ブルペン投球を終えると「変化球、何が一番良かったですか?」と尋ねられた。「スライダー」と即答した。

…と会社で書いていたらこれもご縁なのか、20年前の巨人担当の先輩2人がたまたま話しかけに来てくれた。当時は下っ端の私が遠征のホテル予約を任されていた。広い部屋が好きな先輩と、何より安さを求める先輩。今は2人とも部長さん。「記憶力いいのう」と笑われた。【金子真仁】