2003年(平15)の福岡ダイエーホークス売却案に端を発した球界再編問題を掘り下げる。04年9月18、19日に「ストライキによるプロ野球公式戦中止」という事態が起こるほど、平成中期の球界は揺れた。それぞれの立場での深謀が激しくクロスし、大きなうねりを生む。

  ◇   ◇   ◇  

近鉄とオリックスの合併が表面化した翌日の2004年(平16)6月14日、ロッテ球団代表の瀬戸山隆三(当時)は、東京・西新宿にあるロッテ本社のオーナー代行執務室に呼び出された。対座したのはオーナー代行の重光昭夫と球団社長の浜本英輔(ともに当時)だった。

浜本は元国税庁長官で03年11月にロッテ本社の副社長に就任。この1月から球団社長に就いていた。話を切り出したのは浜本だった。

瀬戸山 浜本さんから「オーナーから聞いたと思うけども、ロッテとしても今の球団の経営状況ではとても成り行かん。身売りするしかない」と言われた。近鉄もそうだが、ここは球団数を減らして、少なくなった球団がもう少し恩恵をこうむるような、利益が得られるような仕組みにしないと野球界はダメだ、と。

瀬戸山は03年12月にダイエー球団を辞めていた。福岡での再就職先も決まっていたが年が明けた3月、ロッテの誘いで球団代表に就任した。オーナーの重光武雄からは、40億円に上る赤字削減とチーム強化を託されていた。ホークスでの成功体験を生かし、立て直しに尽力していた直後だった。執務室での浜本の話はさらに続いた。

瀬戸山 実はもう1つの合併が野球界で進んでいると。ダイエーは本体も終わるし、球団も持てなくなる。ロッテとしては球界のために「白馬の騎士」となってダイエーと一緒になる。球界のために尽力するという話だった。浜本さんが強く言われたのは「我々の意思でやるのではない。我々は球界に頼まれて球界のためにやるのだ。球界のためなのだ。球界の意思だ」ということだった。

近鉄とオリックスに続く「もう1つ」の合併がロッテとダイエーであることを知らされた。と同時に、ロッテに呼ばれた最大の理由も悟った。「その(合併)ために私をロッテに呼んだんですか? 私は帰らせていただきます」。瀬戸山は浜本にたんかを切った。合併のベクトルの向きは間違いなくロッテ→ダイエー。そのためにホークスで長くフロントを務めた瀬戸山を呼び寄せたかった、というのが本当の目的だった。球団数の縮小、再編、1リーグ制への移行…球界の「経営陣」は早い段階から布石を打っていたわけだ。

瀬戸山 合併のために私を呼ばれたんですか? と聞いたら、浜本さんは「いや、そう(合併のため)ではない」と言われたが、間違いないと思った。だから僕は、ならば合併問題ではなく今まで通りチームのことだけやらせてください、と言った。

これに対し、浜本からは具体的な指示があった。合併後のチーム編成である。1球団になった場合の両軍選手の選抜で、支配下リスト作成を命じられた。この時、瀬戸山は2つの質問を返した。フランチャイズと監督問題。本拠地は千葉なのか福岡なのか? 監督は王監督なのかバレンタイン監督なのか? 浜本の答えは歯切れが悪かった。「それはこれから考える」だった。(敬称略=つづく)【佐竹英治】

04年7月、ダイエーとの合併を伝える新聞を手に会見するロッテ浜本英輔ロッテ球団社長
04年7月、ダイエーとの合併を伝える新聞を手に会見するロッテ浜本英輔ロッテ球団社長
04年9月1日付 日刊スポーツ1面
04年9月1日付 日刊スポーツ1面