八戸学院光星・仲井宗基監督(45)は、1993年(平5)に前身の光星学院にコーチとして就任。金沢成奉前監督(48=現明秀日立監督)とともに同校を強豪へと育てた。10年に監督就任。11年春から3季連続で甲子園決勝の舞台に立ち、今も東北の高校野球をリードし続けている。

11年8月、日大三対光星学院 ナインに指示を出す光星学院・仲井監督
11年8月、日大三対光星学院 ナインに指示を出す光星学院・仲井監督

 東北で唯一甲子園決勝の舞台に3度、しかも3季連続で立った監督だ。

 仲井 3回も経験させてもらったんで、次こそという思いは強いです。勝負ごとは勝たな。準優勝じゃだめなんですよ。

 細部まで覚えているというそれぞれの試合を、かみしめるように振り返る。11年夏、日大三に0-11。

 仲井 あれは完全に僕の若さ。経験のなさです。ある程度いけるんじゃないかなと思っていたらとんでもない。(日大三)吉永くんのシンカーは、ボールからストライクに入る。そんなの初めてです。全く対応できませんでした。

 決勝翌日、ナインの飲酒問題が発覚。新チームのスタートは遅れた。だが主将の田村龍弘捕手(現ロッテ)、北條史也内野手(現阪神)の2人の強打者を擁し、秋の神宮大会優勝。12年春も決勝まで勝ち上がったが、大阪桐蔭に3-7。

 仲井 (大阪桐蔭)小池くんの1発(初回に2ラン)。ああいうところで長打を1発打てるチームとできないチームの差をあらためて感じた。攻撃でのミス(2点を追う5回、北條がタッチアップを逃す)もちょっと厳しい。あれで流れが変わってしまった。紙一重なんだけど、その紙一重を埋めるのはやはりすごい時間を費やさないといけないのだろう。

 その夏、再び大阪桐蔭とぶつかり0-3。エース藤浪晋太郎(阪神)から2安打しか打てなかった。

 仲井 藤浪くんが2回戦木更津総合とやったのを見た時に、「これはすごいぞ。春と全然違うわ、打たれへんわ」と僕選手に言ってしまったんですね。

 田村、北條ら光星レギュラーの大半が大阪から来た選手。彼らにとって、大阪桐蔭の選手は小、中学時代のスターだった。

 仲井 中学校の時からすごい選手ばかりだから。そういうところで、覆せなかったな、というのはあります。戦う前に負けていた。震災があり、東北に風が吹いていて、結果続けて出させていただいた。本当に自分たちのグラウンドみたいになったんです。でも、あっちは小倉さん(日大三)、西谷さん(大阪桐蔭)両監督とも優勝を経験済みです。監督の差は出たな(笑い)。

12年8月、大阪桐蔭対光星学院 ピンチを切り抜けたナインを迎える光星学院・仲井監督
12年8月、大阪桐蔭対光星学院 ピンチを切り抜けたナインを迎える光星学院・仲井監督

 3度の準優勝で全国に印象付けた「強打の光星」は約13メートルの距離での打撃練習「近距離バッティング」で培われた。監督になって初めての10年春の東北大会で仙台育英に負けたことがきっかけだった。

 仲井 延長13回で負けて。17三振したんです。早大でやっていたこの練習を勧めてくれた人がいて。それから5年。僕のとりえは、バカの一つ覚えみたいに1度やったら根気強くやること。

 今では仙台育英を含め、東北の多くの高校がこの練習を取り入れる。仲井は「いいこと」と喜ぶ。故郷大阪から遠く離れた八戸に根を張り22年。「東北はレベルが高い」とうれしそうに話す。

 仲井 監督としてのキャリアはないが、一番甲子園で決勝の経験がある。日本一を目指す責任があると思っています。近年、東北のチームは当たり前のように勝つじゃないですか。1、2回勝って喜んでる時代は終わったんだと。これからもその先頭を立っていけるように全国制覇目指して頑張ります。(敬称略)【高場泉穂】