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ヨシネーのひとりごと

ヨシネーのひとりごと

◆保坂淑子(ほさか・よしこ) 秋田県生まれ。フリーライター、エディター。2017年まで、日刊スポーツ出版社刊「プロ野球ai」デスク、「輝け甲子園の星」の記者を務める。“ヨシネー”の愛称で連載を担当した。甲子園取材は2019年で春20回、夏25回。著書に「監督心」、「主将心」(実業之日本社)「東浜巨 野球日誌が語る22年」(小学館)など。

日本ハム榎下陽大選手、日系アメリカ人の彼女との結婚で、ただいま絶好調!

[2014年2月25日21時42分]

 私は今、プロ野球aiの取材で沖縄に来ています!

今回も、久しぶりにお話ができた選手が。それは、日本ハムファイターズの榎下陽大選手です! 2月22日の千葉ロッテマリーンズとのオープン戦では2回を投げ無安打に抑え、順調な仕上がりを見せてくれました。

 「多少、甘い球がいってもファウルにできたり打ち取れる。追い込んだら低めのワンバウンドを振らせるようなピッチングができているんです。キャンプ終盤まで1軍にいられるのは、プロ4年目で初めて。このまま調子を維持できるように頑張ります!」

と笑顔で話してくれました。

 そんな榎下君の笑顔のヒミツはもう1つ。昨年12月25日に入籍。支えてくれる奥様の存在が、榎下君の原動力になっているんですね。

 榎下君といえば、高校時代は鹿児島工のエースとして06年、夏の甲子園ベスト4進出と大活躍。日本選抜にも選ばれ、田中将大君や斎藤佑樹君らとともに日米親善高校野球大会に出場しました。

 当時、初出場の鹿児島工業の快進撃に大興奮したのを今でも覚えています。でも、一番印象的だったのは、甲子園が終わりあらためて榎下君のインタビューしたときの言葉。

 「僕、もう野球はいいんです。英語が好きなので、留学して将来は通訳になりたいと思っています」

 甲子園ベスト4、そして日本選抜。高校野球の大舞台で活躍した投手には、まだまだ野球選手としての輝かしい未来があるはず。それなのに? 

 「小さいころから英語が好きだったので、もっともっと勉強をしたいと思って」

 甲子園で斎藤佑樹選手と投げ合い、日本選抜では田中将大選手を間近で見た。野球の大きさを教えてくれた甲子園。世界はもっと広いはず。もっともっと世界が見たい。榎下君の思いは広がっていきました。

 高校3年の12月には3週間の短期ホームスティ。でも、その後、 「大学は出て欲しい」という両親の勧めもあり、九州産業大学へ進学。野球を続け、プロへ進みました。

 さて、当時の英語への情熱、今は?

 「あの…実は僕、日系アメリカ人と結婚したんです」

 ひゃースゴイッ! 英語への情熱は今も健在だったのね!

 奥様との出会いは、高校3年夏。日本選抜で日米親善高校野球大会出場のためロサンゼルスへ遠征したときでした。当時、この日米親善野球では、選手に現地の生活を経験させるため、1~2人ずつ、現地の日系のお宅へホームスティをしていたのです。なんと、奥様は榎下君がホームスティをしたお宅のお嬢様。

 

 英語を勉強したい榎下君と、日本語を勉強したかった彼女。榎下君が帰国した後も、2人は連絡を取り合い、お互いに語学の勉強を続けてきたそうです。

 「彼女にはよく英語を教えてもらいました」

彼女からのメールには、日本語で文章が書かれ、その下に英語の訳。

榎下君からのメールは、英語で文章を書いて、その下に日本語の訳。

 その後で、お互いに間違いを指摘して教えあうのだそうです。

 「お互いに添削しあって。これは本当にいい勉強になりました」

 こうして親交を続けているうちに交際に発展したそうです。

 付き合って最初の1,2年は、言葉のニュアンスがわからずに、誤解を招くこともあったそうですが、日々重ねているうちに、お互いの考えていることも理解できるようになり、付き合って8年目にして結婚。

 「今でも、僕は英語、彼女は日本語を話すことは難しいんですが、お互いに聞き取りや書くことはできる。だから、僕は日本語で話しかけて、奥さんは英語で答えてくれる、という感じです」

 今でも、勉強は欠かさず。映画は日本語の字幕ナシで鑑賞。キャンプ中もYou Tubeで英語の教材動画を見つけて、1時間半も見て勉強することも。

 「英語っぽく話そうと思って、わーって早く話すのではなくて、ゆっくりでもいいからしっかり話すことを心掛けています。外国人選手にも、結構話かけるようにしているんですよ」

 高校時代は、 「野球を辞める」と言っていた榎下君。

 「正直、大学1、2年のときも、野球にはそれほど興味がなくて。英語の教員免許を取って、大学を卒業したら留学しようと思っていました」

 「細い体はイヤ」と1年冬から始めたウエートトレーニングで体が大きくなり、大学3年で150キロを越える速球を投げられるように。

 「球が速くなって、3年秋の神宮大会で完封勝利をしたり。少しずつ野球が楽しくなっていきました」

 一躍プロ注目選手になり、10年ドラフト4位で北海道日本ハムファイターズに入団しました。

 「大学のときはただ0点に抑えればいいという感じだったんですが、今は内容も考えて投げないといけない。正直、結果が出ない苦しみもあって、楽しいことよりもつらいことが多いです。でも、1軍でたくさんのファンの方の前で投げられるのは、本当に野球をやってよかったと思える。もっと頑張ろうという気になる。今はとても充実しているし野球が楽しいですよ」

 そんな榎本君を支えているのは奥様。

 「彼女は野球に対して、何も言わないのがうれしいんです。2人でいても野球の話はほとんどしないんですよ」

 家では野球を離れ、いい気分転換ができているんですね。

 さぁ、奥様の心強い支えを得て、迎える今年のシーズン。さて、目標は?

 「I’ll try my best!」

流暢な発音で話してくれた榎下君。

 勉強を欠かさず、常にいろいろなことに興味をもって前へ進む榎下君。

野球選手としてはもちろん、人間的にも厚みを増している姿に、何だかとってもうれしくなりました!

写真左から榎下陽大君と大谷翔平君

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