エンゼルス大谷翔平投手(28)とアーロン・ジャッジ外野手(30=ヤンキース)の間で、ア・リーグMVP争いが激化しています。ジャッジは驚異的なペースでのアーチを量産中。18日(日本時間19日)ブルワーズ戦では、58号&59号の1試合2発。ア・リーグ記録の更新が現実味を帯びてきました。

全米が注目する中で、「真の年間ホームラン王」と呼ばれる男の名前が取り上げられています。ア・リーグの現記録保持者で、1961年にシーズン61本塁打を放ったロジャー・マリス(ヤンキース)です。

マリスは59年オフにアスレチックスからヤンキースへ移籍。左の強打者に有利な本拠地ヤンキースタジアムの恩恵を受け、翌60年に打点王とMVPを獲得。史上最強のスイッチヒッターとして鳴らしたミッキー・マントルと3、4番を組み、2人の頭文字から「MM砲」と呼ばれました。

そして続く61年に、世間を驚かす「ルース超え」を果たします。マントルと当時最もハイレベルな本塁打王争いを展開。1927年にベーブ・ルースが記録したシーズン60本塁打更新に挑みました。

しかし、50年代のヤンキース第3期黄金時代を築いたマントルに対し、マリスは外様。本塁打を打つたびに大拍手で迎えられ、明るく笑顔のマントルに対し、マリスは無表情。地元ファンからも「マントルは善玉、マリスは悪玉」と受け止められました。

さらに、当時の米球界において、ルースの記録は“聖域”でした。人気者マントルが破るならまだしも、マリスに抜かされてなるものかと、逆風は想像を絶するものがありました。

マリスは重圧に襲われ、脅迫もありました。当時のフォード・フリック・コミッショナーですら、「162試合でなく、ルースの時代と同じ154試合までに破らなければ、参考記録扱い」との声明まで出すほどでした。まるで悪者扱いでした。

それでも10月1日、本拠地ヤンキースタジアムで行われた公式戦最後の162試合目に、ルース超えの61発目が飛び出しました。しかし、6万7000人以上収容可能な球場にもかかわらず、その瞬間を目撃したのはわずか2万人余り。地元ファンからは非難ごうごうで、彼が得たのは新記録の栄光にはほど遠く、前代未聞の屈辱と苦しみだけでした。

マリスは68年、カージナルスで現役最後のシーズンを終えました。私の恩師で、ロッカーを訪ねた伊東一雄氏(元パ・リーグ広報部長)によれば、「ニューヨーク? あんな嫌なところはなかった」と表情を曇らせたそうです。彼にとっては、まさに悪夢のような時代だったのでしょう。

引退後はビール会社のセールスマンとなり、球場にはほとんど足を運ばなかったようです。ただ、77年にエンゼルスの本拠地球場を訪れた際、偶然にも記者席でマリスの姿を発見。話しかけると、現役時のイメージとは異なり、明るくすがすがしい表情が印象的でした。85年に悪性リンパ腫のため51歳の若さで死去。61本塁打が公式記録に認められたのは、死去から6年後の91年でした。

その後、98年にマーク・マグワイア(カージナルス)とサミー・ソーサ(カブス)が、2001年にはバリー・ボンズ(ジャイアンツ)がマリスの記録を更新。しかし、いずれも後にステロイド(筋肉増強剤)などの薬物使用が発覚した選手ばかり。それゆえ、「マリスこそ真のホームラン記録保持者」との声が高まるようになりました。

果たして、ジャッジが“真記録”の「マリス超え」を果たすでしょうか。残り16試合、歴史的瞬間を待ちたいと思います。(大リーグ研究家・福島良一)

ヤンキースのアーロン・ジャッジ(2022年8月29日撮影)
ヤンキースのアーロン・ジャッジ(2022年8月29日撮影)