プレーバック日刊スポーツ! 過去の9月19日付紙面を振り返ります。1996年の1面(東京版)はドジャース野茂英雄投手が米大リーグで日本人選手として史上初のノーヒットノーラン達成でした。

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<ロッキーズ0-9ドジャース>◇1996年9月17日(日本時間18日)◇クアーズ・フィールド

 ドジャース野茂英雄投手(28)がまた快挙を成し遂げた。強打のロッキーズを相手に、日本人選手としては史上初、米大リーグでは233回目、196人目のノーヒットノーランを達成した。今季3人目。野茂にとってはメジャー公式戦通算59試合目の快挙となった。これで4連勝、16勝目。チームはライバルの2位パドレスに1・5差をつけ、ナ・リーグ西地区優勝へマジック10とした。

 最後の打者、バークスを2-2と追い込んだ。次がこの日の110球目。投げる球は決まっていた。

 「迷いはなかった」。

 迷いなどあるはずがない。自らの野球人生を象徴する球。そのフォークボールは、大きな弧を描いて真ん中低めに落ちた。バークスのバットが空を切る。ピアザはミットで捕球しながら、既に右手を突き上げていた。

 野茂は極めて控えめに、右手を少しだけ突き出して喜びを表した。どれほど三振を奪おうが、大げさなガッツポーズはしたことがない。プロはグラウンドでのプレーこそがすべて、と信じる男の哲学は、この大記録でも揺らぐことはなかった。

だが、ピアザが飛びついてきた時、野茂の全身から力が抜けていた。ナインに抱きかかえられるままになっていた。緊張が解き放たれ、表情が緩んだ。ノーヒットノーランは9回になって意識した。負けん気は人一倍。ここまできたら「やる」と決めた。

 「狙いました」。

 3番から6番までの4人で152本塁打のロッキーズの打線が凡打の山を築く。8三振、4四球。しんに当たった当たりさえなかった。ロッキーズの本拠地、クアーズ・フィールドは標高1600メートルの高地にある。打球の飛距離は2割増。90メートルの外野飛球は、ここでは108メートル飛んでホームランとなる。球場完成以来2年で、完封わずか2試合。ノーヒットノーランなど「不可能」といわれた。

 それでも野茂は「可能性がないことはないと思っていた」と事もなげに言い、ピアザを持ち上げた。「バッター有利な球場だし(マウンドは)コントロールしにくい。それを知って、リードしてくれるキャッチャーがいる。ピアザがこの試合を支えてくれた」。

 雨のため、試合開始が2時間遅れた。気温は10度を下回っていた。決して条件は良くなかった。試合が始まるまでの間、野茂はロッカールームでCDを聴いていた。「リラックスしてたんです」。試合開催が決まると、その20分前にブルペンに向かい、50球投げ込んだ。いつもは30球ほど。長い休憩で眠りかけた体の細胞を起こすためだった。そして、「すべての体調をチェックしていた」。

 雨でマウンドがぬかるむと3回からセットポジションに変えた。「滑るし、セットの方がバランス良く投げられる」。大きく足を広げたクロス気味のフォームから、体重移動を気にせず、そのまま足を踏み出す安定したフォームを選択した。パドレスとの優勝争いの中、どうしても落とせない試合。その中で、気持ちを切り替え、的確に状況判断した。そこに、メジャー2年目の野茂の成長があった。

 「(記録は)個人的にはすごくうれしいけど、今の大事な時期に勝てたことがとてもうれしい」。80人以上の記者が集まった会見でもことさら派手に喜びは語らない。「英語で感想をひと言」の要請には、ぶっきらぼうに「ないです」と答えた。この頑固さが、孤独な異国での戦いに勝ち抜くエキス。

 雨の中、最後まで約2万人のファンが残っていた。9回になると敵地にもかかわらず、マウンドへ向かう野茂にスタンディングオベーションが送られた。2階席や3階席のファンまでが1階席に下りてきて、野茂を後押しした。野茂にはそれが一番うれしかった。「狙って」成し遂げた大記録は、ファンへの恩返しだった。

◆クアーズ・フィールド(COORS FIELD) 1995年オープン。標高1600メートルの都市デンバーにあり、気圧が低いことから他球場よりも打球がよく飛ぶといわれている打者優位の球場。外観は最近流行しているレトロ風。親会社がビールのクアーズだけあって、大リーグ初めての球場自家製生ビールも味わえる。収容人員5万人。昨季の年間メジャー最多入場者数を記録した。左翼105・5メートル、中堅126・2メートル、右翼106・4メートル。

※記録や表記は当時のもの