日米通算4367安打(日本1278、米国3089)のマリナーズ・イチロー外野手(45)が21日、アスレチックスとの開幕第2戦(東京ドーム)後、引退を発表した。

会見は独特の深みのある「イチロー節」があふれ出た。

現役を引退するマリナーズのイチローは、午後11時56分に登壇した。

<冒頭>

こんなにいるの? びっくりするわ。そうですか。この遅い時間にお集まりいただいてありがとうございます。今日のゲームを最後に、日本で9年アメリカで19年目に突入したところだったんですけども、現役生活に終止符を打ち、引退することとなりました。最後にこのユニホームを着て、この日を迎えられたことを大変幸せに感じています。この28年を振り返るにはあまりにも長い時間だったので…。ここで1つ1つ振り返ることは難しいということもあって、ここではこれまで応援していただいた方々への感謝の思い、そして球団関係者、チームメートに感謝を申し上げて、みなさまからの質問があれば、できる限りお答えしたいという風に思っています。

――現役生活に終止符を打つ決断をしたのは、また理由は

タイミングはですね、キャンプ終盤ですね。日本に戻ってくる何日前ですかね…。何日前とハッキリお伝え出来ないんですけれども、終盤に入った時です。もともと日本でプレーする、今回東京ドームでプレーするところまでが契約上の予定ということもあったんですけど、キャンプ終盤でも結果が出せずに、それを覆すことが出来なかったということですね。

――後悔はあるか

今日の球場でのあの出来事…、あんなものを見せられたら、後悔などあろうはずがありません。もちろんもっとできたことはあると思いますけど、結果を残すために自分なりに重ねてきたこと、人よりも頑張ったということは言えないですけれども、そんなことは全くないですけれども、自分なりに頑張ってきたということはハッキリ言えるので。これを重ねてきて、重ねることでしか後悔を生まないということはできないのではないのかなと思います。

――子どもたちへのメッセージを

シンプルだなぁ。メッセージかぁ…。苦手なのだな、僕が。野球だけでなくてもいいんですよね、始めるのは。自分が熱中できるモノ、夢中になれるモノが見つければ、それを見つけられれば、それに向かってエネルギーを注げるので、そういうものを早く見つけてほしいなと思います。それが見つかれば、自分の前に立ちはだかる壁にも向かっていける、向かうことができると思いますね。それが見つけられないと、壁が出てきてもあきらめてしまうということがあると思うので、いろんなことにトライして、自分に向くか向かないかというよりも、自分の好きなモノを見つけてほしいなという風に思います。

――今思い返して、1番印象的なことは

今日を除いてですよね。この後時間が経ったら今日が1番真っ先に浮かぶ、今日のことが浮かぶことは間違いないと思います。それを除くとすれば、いろいろな記録に立ち向かってきたんですけど、そういうものはたいしたことではないというか、自分にとって、それを目指してやってきたんですけど。いずれそれは僕ら後輩が、先輩たちの記録を抜いていくというのはしなくてはいけないことではあると思うんですけど。そのことにそれほど大きな意味はないというか。そんな風に、今日の瞬間を体験すると、小さく見えてしまうんですよね。その点で、例えば、分かりやすい10年200本続けてきたとか、MVPを取ったとか、オールスターでどうたらとかは本当に小さいことに過ぎないという風に思います。今日のこの、あの舞台に立てたということは、去年の5月以降ゲームに出られない状況になって、その後もチームと練習を続けてきたわけですけれど、それを最後まで成し遂げられなければ、今日のこの日はなかったと思うんですよね。今まで残してきた記録はいずれ誰かが抜いていくと思うんですけれど、去年の5月からシーズン最後の日まで、あの日々はひょっとしたら誰にもできないことかもしれない、ささやかな誇りを生んだ日々だったですね。そのことが去年の話で、近いということもあるんですけれども、どの記録よりも、自分の中ではほんの少しだけ誇りを持てたことかなという風に思います。

――イチメーターで知られるエイミーさんが見守っていた。ファンの存在とは

ゲーム後にあんなことが起こるとはとても想像していなかったですけど、実際にそれが起きて、19年目のシーズンをアメリカで迎えていたんですけれども、なかなか日本のファンの方の熱量というのは普段感じるのは難しいんですね。久しぶりにこうやって東京ドームに来て、ゲームは基本的に静かに進んでいくんですけど、なんとなく印象として、日本の方というのは表現するのが苦手というか、そんな印象があったんですけど、完全に覆りましたね。内側に持っている熱い思いが確実にそこにあるということ、それを表現した時の迫力というのは、とても今まで想像できなかったことです。これは最も特別な瞬間になりますけど、ある時までは自分のためにプレーすることが、チームのためにもなるし、見てくれている人も喜んでくれているかなと思っていたんですけれども、ニューヨークに行った後くらいからですかね、人に喜んでもらえることが一番の喜びに変わってきたんですね。この点でファンの方々なくしてでは、自分のエネルギーは全く生まれないと言ってもいいと思うんですね。え、おかしな事言ってます、僕。大丈夫です?(場内笑い)

――貫けたモノは何か

野球のことを愛したことだと思います。これは変わることはなかったですね。おかしなこと言ってます?僕。大丈夫?(笑い)

――グリフィーが肩のものをおろしたときに、野球の見え方が変わったといった。そういう野球のとらえ方が変わることはあった?

プロ野球生活の中でですか?ないですね。これはないです。ただ、子どもの頃からプロ野球選手になることが夢で、それがかなって、最初の2年、18、19の頃は、1軍に行ったり来たり。行ったり、来たり?行ったり来たりっておかしい?行ったり行かなかったり?え?行ったり来たりっていつもいるみたいな感じだね。あれ?どうやって言ったらいいんだ?1軍を行ったり、2軍に行ったり?そうか、それが正しいか。そういう状態でやっている野球は結構楽しかったんですよ。94年、これは3年目ですね。仰木監督と出会って、レギュラーで初めて使ったいただいたわけですけど。この年まででしたね、楽しかったのは。あとはなんかね、その頃から急に番付を上げられちゃって、一気に。そりゃあしんどかったですよ。やっぱり力以上の評価をされるというのは基本苦しいんですよね。そこから純粋に楽しいなんてということは、もちろんやりがいがあって、達成感を味わうこと、満足感を味わうこと、たくさんありました。ただ楽しいかと言われると、それとは違うんですよね。そういう時間を過ごしてきて、将来はまた楽しい野球をやりたいという風に、これは皮肉なもので、プロ野球選手になりたいと夢が叶った後はまたそうじゃない野球を夢見ている自分がある時から存在したんですよね。でもこれは中途半端にプロ野球生活を過ごした人には待っていないもの。趣味でやっている例えば草野球ですよね、草野球に対して、プロ野球でそれなりに苦しんだ人間じゃないと草野球を楽しむことはできないと思っているので。これからはそんな野球をやってみたいなという風な思いです。おかしなこと言ってます?僕、大丈夫?

――開幕シリーズは大きなギフトと表現。我々も大きなギフトをもらった。

そんなアナウンサーっぽいこと言わないでくださいよ。

――今後ギフトはある?

ないですよ、そんなの。そんなのムチャ言わないでくださいよ。いや、でもこれは本当に大きなギフトで、去年3月の頭にマリナーズからオファーをいただいて、からの、今日までの流れがあるんですけど、あそこで終わっていても全然おかしくないですからね。去年の春に終わっていても全くおかしくない状況でしたから。今この状況が信じられないですよ。あの時考えていたのは、自分がオフの間、アメリカでプレーするために準備をする場所、神戸の球場なんですけども、そこで寒い時期に練習するので、へこむんですよね。心折れるんですよ。でもそんなときもいつも仲間に支えられてやってきたんですけれども、最後は山で、自分なりに訓練を重ねてきた神戸の球場でひっそりと終わるのかなとあの当時想像していたので。夢みたいですよ、こんなのは。これも大きなギフトです。僕にとっては。質問に答えてないですけれども、僕からのギフトなんてないです。

――涙無く、開幕シリーズは笑顔が多かったのは

えっと、これも純粋に楽しいと言うことではないんですよね。やっぱり誰かの思いを背負うというのはそれなりに重いことなので。そうやって1打席1打席立つことって簡単ではないんですね。だからすごく疲れました。やっぱり1本ヒット打ちたかったし、応えたいって、当然ですよね、それは。僕にも感情がないと思っている人もいるみたいですけど、意外とあるんですよ。だから結果を残して最後を迎えられたら一番良いと思っていたんですけれど、それはかなわずで。それでもあんな風に球場に残ってくれて。そうしないですけど、死んでもいいという気持ちはこういうことなんだろうなぁと。死なないですけど。そういう表現をするときはこういうときなのかなと思います。

――日本のプロ野球に戻る選択肢はなかったか

無かったですね。(どうして?)それはここで言えないな。ただ最低50までとは本当に思っていたし、それはかなわずで、有言不実行の男になってしまったわけですけれども。その表現をしてこなかったらここまでできなかったかもなという思いもあります。だから言葉にすること、難しいかもしれないけれども、言葉にして表現することというのは目標に近づく1つの方法ではないかなという風に思っています。

――膨大な時間を野球に費やしてきた。これからは野球に費やしてきた時間とどう向き合うか

今は分からないですね。でも多分明日もトレーニングはしていますよ。それは変わらないですよ。僕はじっとしていられないから、それは動き回ってるでしょうね。ゆっくりしたいとかは全然無い。全然無いですよ。動き回ってます。

――生き様でファンの方に伝わっていたらうれしいことは

生き様というのは僕にはよく分からないですけど。生き方という風に考えれば、先ほどもお話ししましたけど、人より頑張るなんて事はとてもできないんですよね。あくまでも秤(はかり)は自分の中にある。それで自分なりに、その秤を使いながら、自分の限界を見ながら、ちょっと超えていく。ということを繰り返していく。そうするといつの日かこんな自分になっているんだっていう状態になって。だから少しずつの積み重ねが、それでしか自分を超えていけないと思っているんですよね。一気に高みにいこうとすると、今の自分の状態とギャップがありすぎて、それを続けられないと僕は考えているので。地道に進むしかない。進むだけではないですね、後退もしながら。ある時は後退しかしない時期もあると思うので。でも自分がやると決めたことを信じてやっていく。でも、それは正解とは限らないですよね。間違ったことを続けてしまっていることもあるんですけれども。でもそうやって遠回りをすることでしか、本当の自分に出会えないというか。そんな気がしているので、そうやって自分なりに重ねてきたことと、今日のゲーム後のファンの方の気持ちですよね、それを見た時に、ひょっとしたらそんなところを見ていただいていたのかなという風に、それはうれしかったです。そうだとしたらうれしいですし、そうじゃなくてもうれしいです。あれは。

――現役を終えたら、この世界で、監督になったり、指導者になったりする。イチロー選手は何になる

何になるんだろうね。そもそもなんかね、カタカナのイチローってどうなんですかね?いや、元カタカナのイチローになるんですかね。あれ、どうなんだろう。元イチローって変だね。イチローだし僕って思うもんね。音はイチローだから。書く時どうなるんだろうね。どうしよっか。何になる…。監督は絶対無理ですよ。これは絶対がつきますよ、人望がない。本当に。人望がないんですよ、僕。いやぁ無理ですね。それくらいの判断能力は備えているので。ただどうでしょうね。プロの選手、プロの世界と言うよりも、アマチュアとプロの壁がどうしても日本の場合特殊な形で存在しているので。今日をもって、どうなるんですかね、そのルールって。今までややこしいじゃないですか。極端に言えば、自分に今子どもがいたとして高校生であるとすると、教えられなかったりとかってルールですよね。違います?そうだよね。そうすると変な感じじゃないですか。だから今日をもって元イチローになるんで。それは小さな子どもなのか、中学生なのか、高校生なのか、大学生なのか、分からないですけど、そこには興味がありますね。

――引退を考えたことは過去にあったか

引退と言うよりもクビになるんではないかなはいつもありましたね。ニューヨーク行ってからは毎日そんな感じです。マイアミもそうでしたけど。ニューヨークはみなさんご存じかどうか分からないですけど、特殊な場所です。マイアミもまた違った意味で特殊な場所です。毎日そんなメンタリティで過ごしていたんですね。クビになる時はまさにそのときだろうという風に思っていたんで。そんなのしょっちゅうありました。

――今回引退を決めた理由は

マリナーズ以外には行く気持ちがなかったというのは大きかったですよね。去年、シアトルに戻していただいて、本当にうれしかったし。先ほど、キャンプ前での、オファーがある前でのお話しをしましたけれども、その後5月にゲームに出られなくなる、あの時もそのタイミングでもおかしくないわけですよね。でにこの春に向けてまだ可能性があるという風に伝えられていたので、そこも自分なりに頑張って来られたと思うんですよね。質問なんだっけ?

――今回引退を決めた理由です

あ、もう答えちゃった

――ベンチで菊池雄星が号泣していたが

号泣中の号泣でしょ、アイツ。びっくりしましたよ。それを見てこっちは笑らけましたけどね。

――抱擁した時にどんな会話を交わしたのか

いやあそれはプライベートなんで。雄星がそれをお伝えするのはかまわないですけど、それは僕がお伝えすることではないですね。そりゃそうでしょう。だって2人の会話だから。しかも僕から声をかけているので、それをここで僕がこんなこと言いましたってバカですよね。絶対信頼されないもんね、そんな人間は。うん、それはダメです。

――アメリカのファンに向けてのコメントをお願いします

19年ですよ? アメリカのファンの方々は最初は厳しかったですよ。最初の2001年のキャンプなんかは日本に帰れってしょっちゅう言われましたよ。だけど結果を残した後の敬意というのは、これは評価するのか分からないですけれども、手のひらを返すというか、言い方もできてしまうので。ただその言葉ではなくて、行動で示したときの敬意は迫力があるという印象ですよね。なかなか入れてもらえないんですけれども、認めてもらった後はすごく近くなるというような印象で、ガッチリ関係ができあがる。シアトルとのファンとはそれができたような僕の勝手な印象ですけど。ニューヨークというのは厳しいところでしたね。でも、やれば、どこよりも、どのエリアの人たちよりも熱い思いがある。マイアミというのはラテンの文化が強い印象で、圧はそれほどないんですけど、でも結果を残さないと絶対に人は来てくれない。そういった場所でした。それぞれに特色があって面白かったし、それぞれの場所で関係を築けたような。それぞれの場所で特徴がありましたけれど。なんかアメリカは広いなと。ファンの人の特徴を見るだけで、アメリカはすごい広いなという印象ですけど。でもやっぱり、最後にシアトルのユニホームを着て、もうセーフィコフィールドではなくなってしまいましたけど、姿をお見せできなくてそれは申し訳ない思いがあります。

――Tシャツのメッセージは

そこは言うと急に野暮ったくなるから、言わない方がいいいんだよね。見る側の解釈だから。そう捉えればそう捉えることもできるし、関係ない可能性もあるし。それはいいんじゃないですか。いちいち説明すると、野暮ったくなる。粋って自分で言えないけれども、言うと無粋であることは間違いないですよね。

――弓子夫人への言葉は

いやぁ…頑張ってくれましたね。1番頑張ってくれたと思います。僕はアメリカで3089本のヒットを打ったわけですけど、妻はですね、およそ、僕ゲーム前、ホームの時はおにぎりを食べるんですね。妻が握ってくれたおにぎりを球場に持って行って食べるわけですけれども。その数が2800くらいだったんですよ。3000行きたかったみたいですね。そこは3000個握らせてあげたかったなと思います。妻もそうですけど、とにかく頑張ってくれました。これは、僕はゆっくりする気はないですけれども、妻にはゆっくりしてもらいたいという風に思っています。それと一弓ですね。一弓というのはご存じない方もいらっしゃると思うんですけれども、我が家の愛犬ですね。柴犬なんですけれども。現在17歳と7ヶ月?今年で18歳になろうかという柴犬なんですけど。さすがにおじいちゃんになってきて、毎日フラフラなんですけど、懸命に生きているんですよね。その姿を見ていたら、俺頑張らなきゃなって。これはジョークでもなく、本当に思いました。あの懸命に生きる姿。2001年に生まれて、2002年にシアトルの我が家に来たんですけれども、まさか最後まで一緒に、僕が現役を終える時まで一緒に過ごせると思っていなかったので。これは大変に感慨深いですよね、一弓の姿というのは。妻と一弓には感謝の思いしかないですよね。

――引退を決めた、打席内の感覚の変化はあった?

いる?それ、ここで。裏で話そう、後で(笑い)。裏で。

――これまで様々な決断をしてきた。ポスティング、WBC出場など。考え抜いての一番の決断は何か

これは順番をつけられないですね。それぞれが1番だと思います。ただ、アメリカでプレーするために、当時、今とは違う形のポスティングシステムだったんですけど、自分の思いだけでは当然それはかなわないので。当然、球団からの了承がないといけないですね。その時に誰をこちら側、こちら側っていうと敵味方みたいでおかしいんですけれど、球団にいる誰かを口説かないと説得しないといけない。その時に1番に浮かんだのが仰木監督ですね。その何年か前からアメリカでプレーしたいという思いは伝えていたということもあったんですけど、仰木監督だったらおいしいご飯とお酒を飲ませたら、飲ませたらってあえて言っていますけど、これは上手くいくんじゃないかなと。まんまと上手くいって。これがなかったら何にも始まらなかったので、口説く相手に仰木監督を選んだのは大きかったなぁという風に思いますね。またダメだダメだとおっしゃっていた人が、お酒でこんなに変わってくれるんだと、お酒の力をまざまざと見ましたし、でもやっぱり洒落た人だったなぁと思いますね。仰木監督から学んだモノは、計り知れないです。

――昨日がWBC決勝の日と偶然一致した。運命を感じるか。

聞かされればそう思うこともできる、程度ですかね。僕はそのことを知らなかったですけど。

――現役時代に我慢したモノは何か

難しい質問だなぁ…。僕、我慢できない人なんですよ。我慢が苦手で楽なこと、楽なことを重ねている感じなんですよね。自分ができること、やりたいことを重ねているので、我慢の感覚がないんですけど。とにかく体を動かしたくてしょうがないので、こんなに体を動かしちゃだめだって体を動かすことを我慢することはたくさんありました。それ以外はなるべくストレスがないような、自分にとってですね、ストレスがないようにって考えて行動してきたつもりなので。家では妻が料理をいろいろ考えて作ってくれますけど、ロードにでると何でもいいわけですよね。それはもうむちゃくちゃですよ、ロードの食生活なんて。だから我慢できないから、結局そういうことになってしまうんですけど、そんな感じなんです。今聞かれたような趣旨の我慢は思い当たらないです。おかしなこと言ってます?僕。

――台湾で人気。台湾のファンにメッセージ

チェンが元気か知りたいですね。チェンはチームメートでしたから、チェンは元気にやってますか?そうですか、それが聞けて何よりです。今のところ予定はないですけれども、以前に行ったことがあるんですよ、1度。すごく優しい印象でした。すごく優しくて、なんかいいなと思いました。

――メジャーの後輩に託したいモノはあるか

雄星のデビューの日に僕はこの日を迎えた、引退を迎えたというのは、なんかいいなぁという風に思っていて、もうちゃんとやれよという思いですね。短い時間でしたけれども、すごくいい子で、やっぱりね、いろんな選手見てきたんですけど、左投手の先発って変わってる子が多いですよ。本当に。天才肌が多い、という言い方もできるんですかねぇ。アメリカでも、まぁ多いです。こんなにいい子いるのかなという感じですよ、ここまで、今日まで。でも、キャンプ地から日本に飛行機で移動するわけですけど、チームはドレスコードのルールがあるんですけど、黒のセットアップ、ジャージのセットアップでOKと。長旅なのでできるだけ楽にという配慮ですけど。「雄星俺たちどうする?」って「アリゾナを発つ時はいいんだけど、日本に着いたときにさすがにジャージはダメだろ」って話を2人でしてたんですよね。「そうですよね、イチローさんどうするんですか」「僕はまぁ、中はTシャツだけどセットアップで一応ジャケット着ているようにしようかな」と。「じゃあ僕もそうします」って雄星言うんですよ。で、キャンプ地を発つバスの中で、僕もそうなんですけども黒のジャージのセットアップでバスに乗り込んで来て、雄星と席が近かったので、「雄星これやっぱ、ダメだよな」って、「日本に着いたときに、メジャーリーガーこれダメだろ」って、バスの中でも言っていたんですけど「いやぁそうですよね」って言ったんですけど、アイツまさかの羽田ついた時に黒のジャージでしたからね。コイツ大物だなぁと思って、ぶったまげました。それはまだ本人に聞いていないんですけど、その真相は。何があったのか分からないですけど、やっぱり左ピッチャーは変わったやつ多いなって思ったんですよ。そのスケール感は出ていました。頑張ってほしい。翔平はもうちゃんとケガを治して、スケールも、物理的にも大きいわけですよ。アメリカの選手に全くサイズ的にも劣らない。あのサイズで機敏な動きができるっていうのはいないですからね。それだけで。世界一の選手にならないといけないんですよ。

――野球の魅力とは

団体競技なんですけど、個人競技だというところですかね。これは野球の面白いところ。チームが勝てばそれでいいかっていうと、全然そんなこと無いですね。個人としても結果を残さないと生きていくことはできないですよね。本来はチームとして勝っていれば、チームのクオリティは高いはずなので、それでいいんじゃないかという考え方もできるんですけど、。でも決してそうではない。その厳しさが面白いのかなと。面白いというか魅力であることは間違いないですね。あとは同じ瞬間がないということ。必ず、必ずどの瞬間も違う。これは飽きが来ないですよね。

――野球を楽しむためにはどうしたらいいい

2001年にアメリカに来てから、2019年の野球は全く違う野球になりました。頭を使わなくてもできてしまう野球になりつつあるような。選手の人たちも現場の人たちもみんな感じていることだと思うんですけど。これがどうやって変化していくのか。次の5年、10年、しばらくはこの流れは止まらないと思いますけど。本来野球というのは…、ダメだな、これ言うと問題になりそうだな。頭を使わないと出来ない競技なんですよ、本来は、でもそうじゃなくなってきているのは、どうも気持ち悪くて。ベースボール、野球の発祥はアメリカですから、その野球がそうじゃなくなっていることに危機感を持っている人って結構いると思うんですよね。だから日本の野球がアメリカの野球に追従する必要なんて全くなくて、やっぱり日本の野球は頭を使う面白い野球であってほしいという風に思います。アメリカのこの流れは止まらないので。せめて日本の野球は決して変わってはいけないこと、大切にしなくてはいけないものを大切にしてほしいと思います。

――今日の試合で1年目の開幕は思い出したか

長い質問に対して、大変失礼なのですが、ないですね。

――プロ野球選手となり、プロで成功。得たものは

成功かどうかはよく分からないですよね。じゃあどこからが成功で、そうじゃないというのは。全く僕にはそれは判断が出来ない。成功という言葉はだから僕は嫌いなんですけど。メジャーリーグに挑戦する、どの世界もそうですね、新しい世界に挑戦することは大変な勇気だと思うんですけど、あえて成功と表現しますけど、成功すると思うからやってみたい、それが出来ないと思うから行かないという判断基準では後悔を生むだろうなという風に思いますね。やりたいならやってみればいい。できると思うから挑戦するのではなくて、やりたいと思うなら挑戦すればいい。その時にどんな結果が出ようとも後悔はないと思うんですよね。自分なりの成功を勝ち取ったところで、達成感があるのかといったら、それも僕には疑問なんですよね。基本的にはやりたいと思ったことに向かって行きたいですよね。

――得たモノは

ま、こんなものかなぁという感覚ですかね。それは、200本もっと打ちたかったし、出来ると思ったし。1年目にチームは116勝して、その次の2年間も93勝して、勝つのってそんなに難しい事じゃないなってその3年は思っていたんですけど。大変なことです。勝利するのは。この感覚を得たことは大きいかもしれないですね。

――自主トレ地でもある神戸に恩返しはあるか

神戸は特別な町です。僕にとって。恩返しか…、恩返しって何をすることなんですかね。僕は選手を続けることでしかなんかそれは出来ないと考えていたこともあって、できるだけ長く現役を続けたいと思っていたこともあるんですよね。神戸に恩返し…、税金を少しでも払えるように頑張ります。

――日米の仕組みの違い、日本で育成される思い、提言はあるか

制度に関して詳しくないんですけど、でも日本で基礎を作る、自分が将来MLBでプレーする、将来MLBで活躍する礎を作るという考え方であれば、出来るだけ早くというのは分かりますけど、日本の野球で鍛えられることというのはたくさんあるんですよね。制度だけに目を向けるというのはフェアじゃないかなという風に思いますよね。

――自身が鍛えられたものというのは

基本的な基礎の動きって、おそらくメジャーリーグの選手より、日本だったら中学生レベルの方がうまい可能性だってありますよ。それはチームとしての連係があるじゃないですか、そんなの言わなくてもできますからね、日本の野球では。こちら(アメリカ)ではなかなかそこは、個人としてのポテンシャルは高いですけど、運動能力は高いですけれども、そこには苦しんであきらめましたよ。

――大谷と対戦したかったか。今後に期待することは

先ほどもお伝えしましたけれども、世界一の選手にならないといけない選手ですよ。そう考えています。翔平との対戦、残念ですけれども、できれば僕はピッチャーで翔平がバッターでやりたかったです。そこは誤解なきようにお願いいたします。

――今後大谷はどのようなメジャーリーガーになっていってほしいか

なっていくかどうか? そこは占い師に聞いてもらわないと分からないけどねぇ…。でも投げることも打つこともやるのであれば、ワンシーズンごとに、ワンシーズンピッチャー、次の年は打者として、それでサイヤングとホームラン王とったら。そんなこと考えることすらできないですよ。でも翔平はその想像させるじゃないですか、人に。この時点で明らかに人とは違う、違う選手であると思うんですけれど。その二刀流は面白いと思うんですよね。ピッチャーとして20勝するシーズンがあって、その翌年には50本打ってMVP取ったら、これは化け物ですよね。でもそれは想像できなくないですからね。そういう風に思います。

――過去に野球選手がなくなる自分を想像するとイヤだと言ったと聞いた

僕イヤだって言わないと思うけれどね。野球選手じゃない僕を想像するのはイヤだって僕は言ってないと思う。――あらためて野球選手じゃない自分を想像してどうか

だから違う野球選手になってますよ。この話さっきしましたよね。お腹減ってきて集中力が切れてきちゃって、さっき何話したか、記憶に。あれ、さっき草野球の話しましたよね。だからそっちで、いずれそれは楽しくやっていると思うんですけど。そうするときっと草野球を極めたいと思うんでしょうね。だから真剣に草野球をやっている野球選手になるんじゃないですか。結局。

お腹減ってきた、もう(笑い)。結構やってないですか?今、時間どれくらい?1時間20分? あらぁ…今日はとことんお付き合いしようと思ったんですけどね。お腹減って来ちゃった。

(残り2問ですとアナウンス)

――誇れることはなんですか?

これ先ほどお話しましたよね。(質問した記者の)小林君も集中力きれてるんじゃない?完全にその話したよね。それで一問減ってしまうんだから(笑い)。

――小学校の卒業文集が有名。小学生の自分に今、声をかけるなら

お前、契約金1億ももらえないよって。ですね。夢は大きくとは言いますけど、なかなか難しいですよ。ドラ1の1億って掲げてましたけど、遠く及ばなかったですから。いやあ、ある意味では挫折ですよね。それはね。こんな終わりでいいのかな。何かきゅっとしたいよね。最後は。

――孤独感を感じてプレーしていると話をしていた。孤独感はずっと感じてプレーしていたか

現在それは全くないです。今日の段階で。それは全くないです。それとは少し違うかも知れないんですけど、アメリカに来て、メジャーリーグに来て、外国人になったこと。アメリカでは僕は外国人ですから。このことは外国人になったことで、人の心をおもんぱかったり、人の痛みを想像したり、今までなかった自分が現れたんですよね。この体験というのは、本を読んだり情報を取ってくることができたとしても、体験しないと、自分の中からは生まれないので。孤独を感じて苦しんだことは多々ありました。ありましたけど、その体験は未来の自分にとって大きな支えになるんだろうと今は思います。だから、つらいこと、しんどいことから逃げたいと思うことは当然のことなんですけど、エネルギーのある元気な時にそれに立ち向かっていく、そのことは人としてすごく重要なことなんではないかと感じています。

締まったねぇ、最後。いやぁ、長い時間ありがとうございました。眠いでしょ、みなさんも、ねぇ。じゃあそろそろ帰りますか。

ありがとうございました、みなさんも。

(午前1時20分終了。深々と一礼して退席)