日刊スポーツは「素顔の元イチロー」と題し、引退発表したマリナーズ・イチロー外野手(45)の緊急連載を開始します。筆者はオリックス時代の担当で長く取材を続ける高原寿夫編集委員と、大リーグで取材を続ける四竃衛記者。取材などを通じて知ったイチローの人間性を伝えます。

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渡米後19年目を迎えても、イチローはあくまでも日本人であり続けた。むしろ、日本にいる時以上に、日本人であることを意識してきたに違いない。「孤高の天才」と形容されるように、ストイックで寡黙なイメージはある。その一方で、近年の日本人が忘れがちな、日本特有の「美徳」をイチローは大事にしてきた。引退会見では、孤独感について語るうちに、自らの内面の一部をのぞかせた。

「アメリカに来て、メジャーリーグに来て、外国人になったこと。アメリカでは僕は外国人ですから。このことは外国人になったことで人の心をおもんぱかったり、痛みが分かったり、今までなかった自分が現れたんですよね」。

イチローが意識する日本人としてのアイデンティティーは、弓子夫人が握った延べ2800個もの真っ白なおにぎり(のりなし)やカレーライスを食べ続けてきたことではない。米国では生活習慣、文化も違えば、価値観が異なる場合もある。メジャーには米国出身以外の選手も数多く、それぞれ野球観も違う。無論、異文化に適応することが重要であることは間違いない。ただ、イチローは日本で培った技術を大前提にプレーし、常に礼儀正しさや謙虚さ、「粋」などの美徳を大切にしてきた。

取材者に対し、同じプロとして厳しく接する一方で、礼節は重んじる。初めて取材に訪れた後輩記者を紹介した時のことだった。大スターを前に緊張の極みで名刺を差し出す後輩に対し、イチローは椅子から立ち上がった。「イチローです。どうぞよろしく」。礼儀正しい、自己紹介だった。

英語だけでなく、スペイン語もかなり理解できるようになっても、日本語を大切にしてきた。米メディアの質問に通訳を介してきたのも、細かいニュアンスまで正確に伝えたいからだった。日本語が持つ機微、趣、わびさびを好み、言葉にはこだわり続けた。米国で外国人の立場になったことで、日本人の美徳や日本語の美しさを、より強く認識するようになったのだろうか。だからこそ、イチローの言葉には重みやユニークさ、そして説得力がある。

16日の帰国会見で、イチローは「大好きな日本」と言った。そして引退会見では、その思いを野球界にも向けた。

「日本の野球は頭を使う面白い野球であってほしいと思います。アメリカの野球を追随する必要はないと思うので。アメリカの野球の流れは変わらないと思うので、せめて日本の野球は大切にしなきゃいけないものを大切にしてほしい」。

メジャーで最高レベルを極めても、イチローは最後まで日本人の誇りを胸に、グラウンドに立ち続けた。【四竈衛】

◆四竈衛(しかま・まもる) 1965年(昭40)、長崎県出身。1989年入社後、北関東支局(群馬・栃木)を経て、巨人、ヤクルトなどを取材。99年からMLB担当。趣味は料理とゴルフ。米アリゾナ州在住。