【テンピ(米アリゾナ州)10日(日本時間11日)=斎藤庸裕】東日本大震災の発生から10年、岩手・奥州市出身のエンゼルス大谷翔平投手(26)が自らの思いを発信した。花巻東高の1年生だった16歳の時に被災し、チームメートが自宅を津波で失うなどの被害に遭った。大谷はこれまで多くを語らなかったが、震災から10年、自身が二刀流で再起をかけるシーズンを前に、米国から被災地へ向けてメッセージを届けた。

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あの時から10年、大谷が胸の内を公式コメントに込めた。日差しが強く、温暖な米アリゾナ州のキャンプ地。メジャー4年目の開幕へ向けて投打で調整を続ける中、球団を通じてメッセージを寄せた。

「東日本大震災から10年。月日とともに薄れていくことも多い中で『忘れてはいけない事』『忘れられない事』も多いかと思います。自分自身できることは微力ではあると思いますが、少しでも被災地の力になれるように、まだまだ頑張っていきたいと思っています」

13年3月10日、教育リーグでプロ初の実戦マウンドに上がった。「ひとつ、いいニュースを届けられたらと思っていた。また頑張って、こういうニュースを届けたい」。翌日、震災から2年の日の紙面には「大谷」の文字が躍った。だが、それ以降は野球と結びつけることを避けてきた。17年3月11日、右足首痛のリハビリから実戦復帰。震災から6年の日での復帰戦となったが「こじつけるものではない」と話した。

16歳、高校1年生の時に被災した。花巻東高のチームメートの中には家族を失った選手もいた。互いに助け合い、その年の夏の甲子園に出場。力を合わせて乗り越えてきた。「忘れられないこと」、「忘れてはいけないこと」。多くは語らずも、大谷自身、また被災した人々に、それぞれの思いが刻まれている。

メジャー4年目を迎えた今季、投打の二刀流で再起をかける。13日(同14日)には強豪ホワイトソックスを相手に今季2度目のオープン戦に登板予定。日本ハム時代からケガに悩まされ、メジャー移籍後は右肘、左膝の手術を行った。二刀流復活を期待された昨季も右前腕を故障。困難な道が続く。それでも諦めない。大谷も懸命に戦っている。

▽大谷は敵地でのインディアンス戦には出場せず、居残り組の投手陣とともにキャッチボールやブルペン投球などで調整を行った。13日(日本時間14日)の登板に向け、ブルペンでは22球を投じた。今日11日(同12日)はジャイアンツとのオープン戦に打者で出場する見込みだ。