エンゼルス大谷翔平投手(26)が、日米通算100本塁打を放った。

大リーグ通算52号で、日本ハム時代は48本の本塁打を放っている。

プロ1号は、13年7月10日の楽天戦。開幕から34試合、92打席目に生まれた。当時の紙面で、メモリアルアーチを振り返ります。(以下の所属、年齢などは当時のまま)

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ついに待望の初アーチだ。日本ハム大谷翔平投手(19)が、プロ1号の2ラン本塁打を放った。1点リードした4回1死三塁から、楽天永井の138キロ直球を右翼スタンド中段まで運んだ。92打席目での1発は、出身地・岩手と同じ東北での記念すべき初アーチ。8回には長谷部から対左腕の初安打もマーク、2安打2打点でチームを4-1の勝利に導いた。

スラッガーの本能にスイッチが入った。大谷が目覚めた。4回1死三塁。カウント2ボールから、節目を刻んだ。内角138キロ直球を力ずくでたたく。右翼席中段付近まで到達した。プロ初本塁打。敵味方なく東北のファンから祝福のシャワーを浴びる。ゆったりと大股で、ゆったりと本塁へと戻ってきた。「走りだしたので(打球を)見ていなかった。そういうのを忘れていたので」。ダイヤモンドを独り占めする余韻を、やっと堪能した。

別人の「打者・大谷」だった。開幕から34試合、92打席目。これまで13本の二塁打を放っているが、10本が左方向だった。高校通算56本塁打の大砲は、鳴りを潜めていた。理路整然とした訳があった。「無理にいかない。やるべき時と、やるべきじゃない時がある」。投手での育成メニューもこなしながら、野手でも出場の二刀流。チームに貢献するためのベストが逆方向偏重の「率を残す」という選択で、爪を隠してきた。

無邪気に、本領を発揮できる環境ができた。最大借金10を完済し、最下位低迷から上昇ムード。投手としても2勝でつくった流れの中で、思いは変わった。前夜の楽天田中に攻められたように、両腕が長く、さばきにくいとされる内角攻めが主体になった。左中間方向への長打警戒から、胸元を突かれる例を示されていた。大谷は「もともとはインコースが好き。もともとは引っ張っていた」のが、本来の打撃スタイル。封印を解いたことを一振りで証明した。8回には長谷部から中前打。プロ初の左腕からの安打と、新境地の兆しも見せた。

殻を破った。「1発がない打者は投手として怖くないですから」。思い入れある東北でのプロ初戦で、今後への希望が膨らむ価値ある1発になった。記念球は両親へプレゼントし、さらに次のステージへと心は向いていた。19歳ながら野球への思慮深さが、あふれていた。「これで(相手球団の)データが変わっていくと思う」。もう先を見据えていた。前人未到の二刀流の成功へと挑む気概。ぎっしり詰まったケジメのフルスイングだった。

◆大谷の打球方向 9日まで13本の長打は10本が中堅から左へ飛んでいた。二塁打は3本が右方向への当たりだが、1本目は岸(西武)からゴロで一塁線を抜いた初安打。2本目は投手の藤浪(阪神)がグラブを差し出したほど中堅寄りで、二塁手の頭上へのライナー。3本目は野村(広島)からの一塁線へのゴロで、一塁手のエルドレッドが捕球ミスしたもの。大谷は右翼フライが1本もなく、今回の本塁打はプロで初めて打った右方向への飛球となる。

○…大谷にプロ初本塁打を献上した永井は淡々としていた。1点勝ち越された4回1死三塁、「外角の甘めがヒットゾーンだった」と大谷に対し内角を攻め続けた。だが、2球目から2球続けた内角直球を右翼席中段に運ばれた。4敗目を喫し「(大谷は)良いバッターであることに変わりないので、インコースを突かないと抑えられない。次は頑張ります」と冷静に振り返った。