<とっておきメモ>

かつての松坂大輔、ダルビッシュ有のように、移籍前から脚光を浴びていたわけではない。だが、有原航平の名前は、早い時期から米球界でも「知る人ぞ知る」存在として認識されていた。

日本ハム時代の16年2月、米アリゾナ州でのキャンプ中、韓国ロッテとのオープン戦のネット裏には、15球団以上、100人前後のメジャーのGM、スカウト陣が集結していた。お目当ては、当日先発の大谷だった。その大谷が予定の2回で降板。ほとんどのスカウトが一斉に席を立った。

ところが、2番手投手が投球練習を開始するのを見ると、すぐに足を止め、数球後、次々に座り直し始めた。その時マウンド上にいたのが有原だった。目の前にいた某古豪球団のGMは、日頃の無愛想さを忘れて「あの投手の名前は何だ」と逆取材してきた。その後、レンジャーズをはじめ複数球団が、有原の本格調査を開始。昨オフのポスティングで競合するのも当然だった。

その数日前、関係者へのあいさつ目的で、同地での日本ハムキャンプにお邪魔した。その際、何げなく眺めていた若手主体のブルペン投球で、ひときわ目を引く投手がいた。担当記者に訪ねると、「昨季(15年)の新人王の有原です」との答えが返ってきた。今思えば、“生き馬の目を抜く”ような世界にいるメジャースカウト陣が、有原の資質を放っておくはずもなかった。【MLB担当=四竈衛】