米大リーグのレッズが、スイス人で佐倉高(千葉)に留学経験のあるドミニク・シェフラー投手(17)とマイナーリーグ契約を結んだ。

世界野球ソフトボール連盟(WBSC)のホームページに記載された。スイス出身ではオット・ヘス投手(ブレーブス)以来97年ぶりだが、同投手は米国育ち。スイスで育った選手では初めてとなる。

シェフラーは195センチの長身から最速150キロの直球を持つ左腕。ドイツのクラブチームで野球を学んだ。15年に王貞治氏(ソフトバンク球団会長)が主催する世界少年野球大会(千葉県)でスイス代表として来日。20年11月に佐倉高へ留学した。「高校野球を経験したい」と、長嶋茂雄氏(巨人終身名誉監督)を輩出した野球部に入った。同校部員の髪形は丸刈りだが、シェフラーは特別に長髪が許された。

同校ではホームステイしながらの短期留学生のため、公式戦の登板はなかった。それでも高校2年の夏まで、練習試合では向上(神奈川)や千葉敬愛、成田、八千代松陰(千葉)などの強豪との試合で数度登板。堀内幹仁監督(64)は「投げっぷりは良かった。コントロールは悪くて四球を連発していたが、来日当初から140キロの球を投げた。スピードは一番速かった。スライダーのキレが抜群で、私もびっくりした。決まった時は素晴らしい球を投げていた」と当時の様子を振り返った。

シェフラーはドイツのクラブチームで米国人の指導者に野球を学んだ。そのため、自動車のタイヤを使った冬場の下半身強化練習には「ベリーハード」と言いながらも、必死に日本流へ適応していた。

堀内監督は千葉商時代に、ホンダを経てロッテに97年ドラフト2位指名された寺村友和投手(後にヤクルト-近鉄へ移籍)を育成した。「球の力があるとプロに行ける」とシェフラーとの共通点を感じた。対戦相手を視察に訪れたソフトバンクのスカウトが興味を示したこともあった。「日本に残ってプロを目指したらどうか」と薦めたこともあったが「メジャーに行きたい」という意思は変わらなかったという。留学後はドイツのラーゲンスベルク・アカデミーで腕を磨き、スイスのU-18、23で代表入りしていた。

今後は、ほぼ1世紀ぶりのスイス人メジャーを目指す。堀内監督は「一回りも二回りも大きくなった。夢の第1歩をかなえた。意欲と技術の高さには驚いたし、非常に楽しみ」と期待した。帰国時には長嶋氏の写真パネルと「コントロールの付け方、投手の考え方」など野球の技術を教える英文をプリントして渡した。ONに関わったスイス人左腕が、米国での活躍を狙う。【斎藤直樹】