ドジャース佐々木朗希投手(23)は多くの“土産”を抱えて再び海を渡る。日本でのメジャーデビュー戦はカブス相手に3回1失点降板で、記念すべき初白星はお預けとなった。5四球と制球は乱れたものの初回は160キロ台を連発し、最速は100・5マイル(約162キロ)。MLB大争奪戦の理由を実証した。東日本大震災で多くを失った少年は14年後、日米野球ファンの注目を集める大舞台の中心に。メジャーリーガーとして堂々歩み出した。
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沈黙と緊張を破る光を走らせた。佐々木朗希、1球目にいきなり160キロ。東京ドームがうなる。名実ともにメジャーリーガーになった瞬間だ。「会社員になって静かに暮らしたい」と願っていた少年が。「介護福祉士とかも興味あります」と照れていた少年が。
実働4年間で投じた160キロ台は877球、平均球速156・5キロ。とんでもない才能を証明したロッテ時代と、何ら変わりない。東京ドームが静まり、どよめき、静まり、どよめく。「ファンの皆さんが作ってくれた日本独特の、素晴らしい雰囲気の中で投げることができて良かったです」。国際大会に近い感覚、とも振り返った。
飛ばしすぎたか、2回以降にスプリットが制御できない。全56球のストライク率は約44・6%。ロッテ時代は8割超の登板もあったのに。「微妙なずれもあったので…」。初回には沈黙を裂く「オリャ!!」を響かせ続けた佐々木の、むしろ苦しい表情が浮き出る。そこで耐えられる人だ。
多くを失った東日本大震災の半年前、初めて投手をした。1イニング無失点。三塁側で見守ってくれた父は、もういない。「人生で一番泣きました」と3・11での苦しみを仲間に打ち明けた。今あることは当たり前じゃない-。自分史から一切の後悔を消し去るよう生きてきた。「誰かが敷いたレールだけを歩むのは…」。己の道を信じ抜く。
だから時には誤解もされる。心優しくとも他人に甘くはないし、自分にはもっと厳しい。緩めない。「自分との約束を守る」と表現しながら。だからこそ23歳で世界中の野球選手がうらやむ能力を手にした。
18・44メートルのやりとりを静寂で見守る。日本の野球好きも異文化をリスペクトしつつ、ピンチにはもう黙っていられない。「頑張れ朗希!!」。ドームのあちこちで響く。家族や恩師も見守る中、苦しむ朗希には全ての「頑張れ」が“親”のような支えになる。
白星は海の向こう。飛行機に積む“土産”は重い。「早め早めに課題が出てくれたら」と願いつつ、14年間の数々の苦難のように必ず乗り越える。届いた頑張れの数々は、島国から旅立つ若者への贈る言葉だ。思う存分やってこい、もっとでっかい朗希になれ-。快く送り出した日本球界は、想像を超える土産話を待っている。【金子真仁】
▽ドジャース・スミス(佐々木とバッテリーを組み)「ゾーンにしっかり投げていて、彼はいい仕事した。デビューするにあたって、いろんな感情があったと思うが、集中していた。全体的に良かったと思う」
▽ドジャース・ロバーツ監督(佐々木に)「スプリットがちょっとボール気味という面で、なかなかプレート上にいかなかったって。少しそこを調整すれば、もうちょっといい内容につながっていたのかなと思う」
▽カブス・カウンセル監督(佐々木に)「チームとしていいアプローチができた。彼を早い段階から試合から降ろすには、あと1本欲しかった。3回はピンチでいい投球をしたので、それは彼に敬意を示さないといけない」
▼ドジャース佐々木が大リーグデビュー。23歳4カ月は日本人のデビューで64年村上雅則(ジャイアンツ)の20歳3カ月、96年鈴木誠(マリナーズ)の21歳1カ月、09年田沢純一(レッドソックス)の23歳2カ月に次ぎ、99年大家友和(レッドソックス)に並ぶ4番目の若さ(すべて投手)。デビュー戦が先発では大家に並ぶ最年少。
◆日本人大リーガーの球速 最速は藤浪がオリオールズ時代の23年8月6日メッツ戦で出した102・6マイル(約165・1キロ)。大谷の最速はエンゼルス時代の22年9月10日アストロズ戦で出した101・4マイル(約163・2キロ)。これまでの日本人のデビュー戦最速は大谷が18年4月1日アスレチックス戦でマークした99・6マイル(約160・3キロ)。初登板で100マイルに到達したのは佐々木が初めて。



