ロッキーズ菅野智之投手(36)が、メジャー2年目で日米通算150勝に到達した。大学の4年間で技量を磨き、ドラフト指名拒否による「浪人」生活を経て、プロ通算14年目で節目の数字にたどり着いた。球界の「サラブレッド」のイメージがありつつも、幾多の試練を乗り越えてきたベテラン右腕が、自らの「現在、過去、未来」を、ストレートな言葉で語った。【取材・構成=四竈衛】

   ◇   ◇   ◇

昨年、35歳で海を渡り、今季、新天地コロラドでメジャー2年目を迎えた菅野は終始、落ち着いた口調でここまでの約2カ月を自己分析した。「マイルハイ」と呼ばれ、標高約1600メートルの高地デンバーを本拠地にしながらも、「投手不利」を感じさせない、安定した投球を続けている。

「まずは、ピッチコーリング(配球)がうまくいってるんじゃないかと僕は思っていて、(オリオールズ時代の)去年はどうしても伝えたいことが、捕手、投手コーチに伝えられてなかったのかなと。どっちがいい悪いではなくて」。

チームによって戦略が異なるのは当然だが、ロ軍では菅野の意図を優先したうえで配球を組み立てる。

「完全に僕が投げたい球種を、自分で書き出して、データを見たうえでやっているので、こっちが投げたいものを出してくる、というのができているので、うまくいってるのかな」。

課題としてきた左打者対策として、オフ期間に取り組んだジャイロ回転のスライダーが効果を発揮。スプリット、スイーパー、カーブに加え、投球の幅が広がった。

登板間の調整にもアクセントを付けた。シーズン中に、酸素の薄いデンバーで過度なトレーニングを続けると、負荷がかかり過ぎることもあり、ルーティンにも工夫を加えた。

「正直、コロラドにいると疲れが抜けづらかったり、体重が落ちてしまったりと感じる時もあります。ただ、それがマイナスではなく、より体と向き合うキッカケになったというか、疲れとか体の変化についてすごく敏感になりました。ロードに出た時、いかにトレーニング、ランニングも含めてできるか、コロラドではできるだけリカバリーの時間にして、考えられるようになりましたね」。

 ◇   ◇   

早い時期からメジャーへの憧れを持っていた一方、巨人のエースとしてマウンドに立つかぎり、自らの置かれた立場を冷静に見つめていた。

「本当に考え始めたのは19年オフですかね。巨人がポスティングを認めてくれないのは分かっていましたし、それまでは現実のものとしては考えられなかったです。いろんなインタビューでは、17年のWBCでドジャースタジアムで投げて、メジャーに行きたいと思うようになりましたと表面的には答えていたんですけど、すぐに行けないというのは分かっていました」。

20年オフ、満を持してメジャー挑戦を決断した。だが、コロナ禍の影響もあり、6球団とも言われる各球団との移籍交渉は不調に終わり、巨人に残留した。だが、完全に夢を捨てたわけではなかった。

「23年が本当にダメで、開幕前から調子が悪く、ケガをしてしまった。リハビリでは球速140キロ出るか出ないくらいになって。ふと考えた時に、もう33歳なんだと。このまま終わっちゃうのかなと、終わりを考えるようになったんです」。

その際、久保康生巡回投手コーチと出会ったことを機に、完全復活への歩みが始まった。

「その時はメジャーうんぬんとかは考えず、キャリアを長くするためにもう一回スタートさせようと考えてました。そして、24年はまあ良くて、あとできて5年ぐらいだろうなと、自分の中で初めて終わりを意識したというか…」。

その際、しまっていたメジャーへの思いが、再び頭をもたげてきた。

「もちろん日本だけで終わるのもすばらしいことなんですけど、自分の中で終わりを考えた時に、これは行かないと絶対後悔すると思って、メジャーを意識してやりました」。

 ◇   ◇   

2年前の時点で「あと5年ぐらい」と感じたとすれば、残りは何年なのか…。

「今は違います。体が続く限りやり続けたいと思っています。何歳になるか分からないですけど」。

今年3月のWBC合宿で野球談議を重ねたダルビッシュ(パドレス)の生き様にも感銘を受けた。

「これからの話もしました。不屈の闘志というか、あの年齢(40歳)で…。僕は何回も、もういいかと思ったことはありますけど、折れずにずっと前を向き続けるというのは、僕からしたら一番難しいこと。体よりも先に気持ちがしんどくなっちゃうんじゃないかなと思う。月並みな言葉ですけど、やっぱりすごいと思います」。

今年10月で37歳。150勝の先には、何が見えているのだろうか。

「本心を言えば、そりゃ200勝はしたいですよ。別に意識してないです、と言ったらそれはウソになると思います。ここまで来たからにはしたいと思いますけど、でも、結果的に200勝できたらいいなと思います。200勝を目標にしちゃうと、自分自身の首を絞めることになる。(打線に)打ってよ、なんであそこで…、という気持ちになってしまうから、結局、自分の仕事を積み重ねていった結果、200勝してましたという方が、僕は自分の仕事に対してプロフェッショナルでいられると思う」。

昨季に続き、今季も1年契約。チームの低迷をよそに、安定した投球を続ければ続けるほど、トレード期限までに有力球団がトレードに動く可能性は上がる。

「去年はすごくナーバスになっていたというか、トレードに対しては日本では普通のことではないので、1年間戦ってみて、そういうのを受け入れられる気持ちでもいるし、そういう現状も分かっているつもりなので、前向きに考えると思います」。

シーズン終盤、菅野がどのチームのユニホームを着ているかは分からない。

「本当にこのチームが好きですし、チームも僕自身もこの先どうなっていくか、分からないですけど、任された試合は勝ちに結びつけたい。何とかチームの力に、いいものを残せたらいいなと思っているので、そういうものを毎日かみ締めながらやっていけたらとは思っています」。

毎日をかみ締めながら生きる-。

プロ入り前、1年間の「浪人生活」を経験した菅野にとって、目の前の困難や苦境も、さらに前へ進むための「踏み石」に過ぎないのかもしれない。

◆取材後記◆ 互いに「何だか、照れくさいね」と笑いつつ、インタビューは始まった。菅野と初めて会ったのは、日本ハムからのドラフト指名を拒否し、浪人生活を始めた直後の12年。当時、菅野は米アリゾナで孤独なトレーニングを続けていた。その後、共通の知人を介し、幾度となく接点はあった。だが、その間、野球記者としては失格かと自認しつつも、菅野の原稿を書いた記憶はほぼない。

今やメジャーリーガーとなった菅野への取材は、桜井通訳の気遣いもあり、菅野のロッカーの前で、互いに椅子に座った状態で実現した。メディアに対し、クラブハウスが閉鎖される時間になっても、ロ軍広報からは「ストップ」をかけられることなく、会話は続いた。そんな経験は過去になかった。

そして、辛苦をなめたベテランの言葉は、実に味わい深かった。【四竈衛】