「頑張れよ」と肩をたたいてくれた手は、変わらず大きかった。仙台市出身、整理部からの研修で記者歴わずか2日の湯本勝大記者(25)が楽天・金武町キャンプに潜入した。

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13年ぶりの対面は突然だった。先輩記者に手招きされ、あいさつをしたのは平石監督。言葉がなかなか出なかった。小学6年、楽天の創設2年目の06年。宮城・利府町での野球教室で選手時代の指揮官に指導を受けた。「塩川さんも! 大広さんもいました!」と何とか伝えると、「マジか!」と笑ってくれた。

小学5年で楽天ができ、共に育ってきた。小4で入団した野球チームは「絶対に辞めないで」と監督に懇願されるほど部員不足だったが人数が激増。みんなでクリムゾンレッドのユニホームに憧れた。11年、高校2年時に東日本大震災。余震の恐怖は今でも心に残るが、球場にいる時は嫌な気持ちを忘れることができた。13年、リーグ優勝は西武ドームの右翼席で見た。日本一は、みんなで泣いた。

幼い頃に夢見た「楽天に入る」という目標は破れたが4月で入社4年目。野球に携わる仕事に就けた。「平石チルドレン1号の記者です」と監督に伝えると「なんでやねん! でも頑張れよ」と肩をたたいてくれた。ブルペンでは大卒2年目左腕の渡辺佑が「1軍に定着できるように」と必死に投げる姿に目を奪われた。嶋を始め、若手もベテランも必死に汗を流すキャンプ。僕の心に刻まれた「見せましょう、野球の底力を」の言葉。その力を伝える勇気を、またもらった。