今季こそ墓前に優勝の美酒を!一昨年にくも膜下出血で倒れ、死の淵から生還した日本ハム“奇跡の社長”小村勝球団社長(60)が、4月27日の球団創設者大社義規オーナーの命日に自身のコーナー「コムラノコラム」を執筆した。

エスコンフィールドには大社オーナーにまつわる“仕掛け”も多数隠されている。21年前の“球団生みの親”との別れを思い出しながら、今季への意気込みをつづった。

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「逆境こそ我が道なり」。北海道日本ハムファイターズ私設応援団『闘将会』が試合中に掲げている幕の言葉です。これは日本ハム(株)の創業者でありファイターズの初代オーナーであります大社義規の言葉であります。創業者は2005年4月27日17時45分、死去されました。訃報(ふほう)が伝わると社内は騒然としたと同時に、大きな喪失感に覆われたのを、覚えています。

5月1日大阪の本願寺津村別院(北御堂)で約3000名を超え多くの方々が弔問に訪れました。棺が出ていく際には、御堂筋の沿道で闘将会の皆さんがファイターズ賛歌を吹いて、旗を大きく振りながらお見送りをして頂いたシーンは、多くの参列者の涙を誘いました。

当時、大阪で勤務していた私は、後に北海道に球団本拠地を置く決断をした大社啓二さんのおかげで、ありがたいことに兵庫県内のご自宅で、お顔を拝見することが出来ました。

驚くほどきれいなお顔で、ファイターズの永久欠番100番のユニホームが掛けられておりました。このような表現は不適切かもしれませんが、本当にすてきで今もまぶたに鮮明に浮かんでまいります。その後にファイターズを担当するとは全く想像出来ませんでしたが、今もって逆境を「我が道なり」と思える心境には程遠く、出来れば逆境は避けたいと、情けない事を考える自分が、恥ずかしくなります。

エスコンフィールドの1階の座席番号は、センターにある大社創業者のアートの位置を永久欠番の100番とし、そこから番号が右回りに101、102となっております。

何故、1番から始まらないのか? もしくは普通はホームベース方向から始まるのでは? といった疑問をお持ちの方も多くいると思いますが、ファイターズが大社創業者をそれだけ、リスペクトしているという事でもあります。大社創業者の経営理念に『高邁な理想をかかげ、その実現への不退転の意志をもって行動する』という言葉がありました。まさしくファイターズはチーム、エスコンフィールド、Fビレッジを含め「高邁な理想」を掲げてその実現へ向かい日々、不退転の意志をもって行動してまいりたいと思います。

今年から、アートの横に野球殿堂入りした際のレリーフが飾られております。是非、ご覧いただければと存じます。

『日本一野球を愛したオーナー』といわれ、選手を我が子のように大事にし、1981年の優勝祝賀会では『頭から飲むビールはこんなにうまいものか』と明言を残した大社創業者のお墓に優勝報告をし、うまいビールをお掛けしたい!21回目の命日にあたり、そう強く願って、手を合わせたいと思います。(北海道日本ハムファイターズ球団社長)

◆小村勝(こむら・まさる)66年1月25日、大阪府生まれ。88年日本ハム入社。加工事業本部マーケティング推進部長時に「シャウエッセン手のひら返し」「シャウ断髪」など新販促を実践。22年から北海道日本ハムファイターズ取締役、ファイターズスポーツ&エンターテイメント取締役。エスコンフィールド開業の23年に、北海道日本ハムファイターズ球団社長就任。