<巨人7-5阪神>◇7日◇東京ドーム

 巨人の新人高木京介投手(22)が、試合の行方が分からないマウンドに立った。杉内が4回KO。2点負けの5回だった。「平野さん、鳥谷さん、新井さん。皆さん格上。胸を借りる」と決めた。プロに入って「怖いと思ったバッターはまだいません。そんな余裕、ないです」。ただ1つ決めている事があった。

 「どんな球種でも、腕を思いっきり振る」。カーブが持ち球。直球と同じ振りで攻める。結果は吉と出た。タイミングを外し3者凡退。試合を静めると、先輩たちが逆転してくれた。プロ初勝利。隣には高橋由。「中学のころテレビで見ていた方。夢のようでした」。喜びは「両親に伝えたい」とハキハキ言った。

 ゴジラ2世。高木京の形容詞だ。石川・星稜高出身。野手で注目され、しかも本家と同じ左打ち、隣町の出身だった。でも偉大な先輩の後を追ったわけじゃない。「実家にいたくなくて。父が厳しくて」。望んで星稜高の寮生活を選んだ。

 小学校のころ、1回だけ野球をやめたくなった。日本海側は冬場の野球環境が厳しい。グラウンドが使えず、毎日、同じ風景の体育館を1時間30分走り通していた。「午前3時に石川テレビ前に集合。週末はいつも、名古屋で練習試合でした」。片道3時間半の道のりだった。父和也さんは厳格だった。自宅に戻っても練習、練習。泣きを入れたらまた怒られる。だから母道子さんの前で「やめたい」と泣いた。

 「なんでそんなに厳しいのか」。ずっと不思議だった。でも中学、高校、大学と野球を続けて気付いた。「練習が苦しくない。巨人に入っても、つらいと感じたことはなかったですね」。最高峰の舞台に来て、「小学校のころが一番しんどかった。そう思えるんだから、親に感謝しなくてはいけません」と分かった。ずぬけた体力。練習を苦にせず、純に野球と向き合う精神力。本家と同じ資質が高木京にはある。

 自分から家族に連絡することはほとんどなかった。でも、誰がこの舞台に引き上げてくれたか知っていた。だからお立ち台で「両親」の言葉が迷わず口に出た。【宮下敬至】

 ◆高木京介(たかぎ・きょうすけ)1989年(平元)9月5日、石川県出身。星稜3年の07年夏に甲子園出場。エースで4番を打ち、長崎日大と対戦して初戦敗退するも4安打を放った。国学院大を経て11年ドラフト4位で巨人入団。3月31日ヤクルト戦で1軍デビューし、6月23日ヤクルト戦で初ホールド。今季通算7試合で1勝0敗、打者21人、被安打4、奪三振5、防御率3・60。182センチ、80キロ。左投げ左打ち。今季推定年俸800万円。