<日本ハム7-9ソフトバンク>◇4日◇東京ドーム

 日本ハムの中継ぎ左腕、宮西尚生投手(28)が、パ・リーグ初のルーキーイヤーから6年連続50試合登板を成し遂げた。4日のソフトバンク戦に5番手で登板。1安打は許したが2奪三振で2/3回を無失点で後続につなげた。セ・リーグでは岩瀬(中日)が14年連続50試合登板を継続中だが、日本ハムが誇る鉄腕がパ・リーグ記録を打ち立てた。チームはパ最長時間となった延長12回の末、7-9で敗れた。

 正真正銘、鉄腕の誕生だ。日本ハム宮西が入団以来、6年連続の50試合以上登板を達成した。14年連続を継続中の岩瀬(中日)らに次いで史上3人目で、パ・リーグでは新記録。「登板試合数の記録は出来るだけ継続したい」という願いを、かなえた。

 全14球。7回1死、ソフトバンクの4番柳田を迎えたところで、5人目としてマウンドへ上がった。柳田に対しては、7球すべてスライダーで攻めて空振り三振。続く長谷川には安打を許したが、6番山崎を142キロ直球で空振り三振に仕留めて仕事を完了すると、小さく拳を握った。

 関学大から07年の大学・社会人ドラフト3巡目で入団。大学2年時に連続無失点イニングのリーグ記録を作り先発完投型のエースとして活躍したが、学年を重ねるごとに評価を落とした。ドラフト当日、なかなか名前が呼ばれない。「もう、これは社会人かな」と思った直後、まさかの日本ハムからの指名だった。

 入団発表から数カ月後に参加した春季キャンプ。「フォームを元に戻してくれ」という山田ゼネラルマネジャー(GM)の一言が、飛躍のきっかけとなった。「GMは大学2年の全盛期を見ていたみたいで…」。大学3、4年と変化球の種類を増やしたいとの思いで、本来のスリークオーターからオーバースローに変更。その代償が、直球の劣化だった。フォーム修整に明け暮れたキャンプを経て1年目からタフネスぶりを発揮してきた。

 「中継ぎなんてプロに入るまで知らんし、リリーフっていうのも先発が打たれたら出てくる投手でしょ?

 というイメージしかなかった」という鉄腕は今、自分の“職場”に誇りを持って、マウンドへ上がっている。節目の熱投も報われずチームは敗れたが、コツコツと積み重ねてきた道のりの価値が変わることはない。【中島宙恵】

 ▼日本ハム宮西が、ルーキーイヤーの08年から6年連続50試合以上登板を達成した。史上3人目で、パ・リーグでは初。セ・リーグでは、99~12年まで達成し、今季も残り2試合に迫っている岩瀬仁紀(中日)、56~64年まで9年連続の秋山登(大洋)の2人。パ・リーグは98~02年まで5年連続の藤田宗一(ロッテ)もいたが、6年連続となった宮西が単独最長となった。