08年北京五輪柔道男子100キロ超級金メダルの石井慧(35)が、ボクシングデビュー戦を白星で飾った。

「サトシ・イシイ」として、1勝(1KO)の高山秀峰(スパイダー根本)とヘビー級4回戦で対戦。判定2-0で勝利した。

石井は、りっぱなあごひげを貯えて、Tシャツ姿で入場。トランクスの右太もも部分には、クロアチアの国旗をあしらった。リングインすると、相手の高山と右のグローブで軽くタッチを交わした。

1回、左構えの石井が高くガードを掲げてじりじりと前進した。パワフルな左フックを振るうと観客から驚きのため息がもれた。2分すぎに高山の右フックを被弾したが、終始ガードを高く上げて圧力をかけた。

2回、石井は圧力をかけるが、連打が出ずになかなかクリーンヒットが出ない。足を使う相手を追っていく展開が続いた。時折、左のショートアッパーで相手の顔面を狙うが、効果的な1発につながらなかった。

3回、石井はさらに圧力を強めて、接近戦に持ち込む。細かいパンチをだしながら、ロープ、コーナーに相手を追い込んだ。強い右フックを相手にぶつける場面も増えた。高山は動きが鈍ってきた。

4回、石井は相手をコーナーに追い詰めて左フックをヒット。相手を逃がさず、パンチを集めた。スタミナで優位に立って最後は構成をとって終えた。終了のゴングが鳴ると、両手を大きく広げた。

判定は、38-38、39-37、40-36。ジャッジ2人が石井を支持した。

石井は「スパーリングと本当の試合は違うので。相手も必死こくので。全然ダメですね」と話した。

石井は08年北京五輪で金メダルを獲得した後、同11月に総合格闘家に転身。現在は元K-1王者のミルコ・クロコップに師事して、クロアチアを練習拠点としている。6月に総合格闘技の試合を行った後は、ロシアで6週間のボクシング合宿を行ってきた。「正直、ボクシングでは世界王者になれないと思っている」。その一方で「挑戦することで、いい経験になると思っている」とも話していた。

石井が出場した試合は、元世界3階級制覇王者で「3150FIGHT」の亀田興毅ファウンダー(35)が手がける興行。前日計量では110キロを記録していた。

▽イシイに敗れた高山 スピードは想定通りだったがやはり110キロの重さがあった。岩とか大木を押しているイメージ。パンチは見えるからいなせたが反撃できなかった。(試合後、石井に)「強かった」と言ってもらってうれしかった。

<08年北京五輪後の石井慧>

◆プロ転向 08年11月3日、大阪市内のホテルで会見して「総合格闘技に転向することになりました」。参戦団体を特定せず、国内、米国のUFCも視野に入れて「60億分の1の男」になることを目標に掲げた。

◆黒星デビュー 09年12月31日に「Dynamite!」で、吉田秀彦とのデビュー戦は3回判定負け。

◆ヒョードルと対戦 11年12月31日に熱望していたエメリヤーエンコ・ヒョードル(ロシア)戦が実現したが、1回KO負け。

◆柔道に再挑戦も 総合格闘技と並行して、米国代表での16年リオデジャネイロ五輪を目指した。14年5月には全米体重別選手権の無差別級に出場。準々決勝で反則負けして「両者指導の後、1人だけ指導をとられ気持ちが切れた」。

◆無念の負傷 今年4月にK-1無差別級トーナメントに出場。1回戦は2回KO勝ちも、脇腹を負傷。ドクターストップにより準決勝に出場できなかった。

◆クロアチア 14年に2度対戦して連敗したミルコ・クロコップがいるクロアチアを練習拠点としている。クロアチア国籍を取得して、プロボクシングデビューに際しては同国でボクシングライセンスをとった。

◆石井慧(いしい・さとし)1986年(昭61)12月19日、大阪・茨木市生まれ。08年北京五輪男子100キロ超級で金メダル。同11月に総合格闘家転向を表明。09年大みそかの吉田秀彦戦でプロデビューも判定負け。総合格闘技、キックボクシング、ボクシングと活動の場を広げている。181センチ、110キロ。

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