元プロレスラーで参議院議員も務めたアントニオ猪木さん(本名・猪木寛至)が1日午前7時40分、心不全で死去した。79歳だった。

猪木さんらとともに東京プロレスを設立し、新日本プロレスの隆盛を築いた新間寿氏(87)が、猪木さんの訃報に接し「あの人と過ごした何十年という人生はいまだに誇りに思っているよ。絶対に忘れない」と思いを語った。

新間氏は72年に新日本入社後、猪木さんの右腕として活躍し、76年のムハマド・アリ戦を始め数々のビッグマッチを手がけ、「過激な仕掛け人」と呼ばれた。猪木さんが89年に立ち上げたスポーツ平和党の幹事長を務めたものの、その後は袂を分かつなど、決して単純な関係性ではなかった。

「『猪木寛至』さんとは、とっくの昔に分かれたと思っていたけど『アントニオ猪木』という人は私にとっては永遠の人。南十字星であり、北極星。いつまでもいつまでも光り輝いている。男の進むべき道を、女の優しさを、リングの中で身をもって発信し続けたのがアントニオ猪木だったね。喜びと希望だったよ」と懐古。「多くの人の心にアントニオ猪木という名前は生き続けていくよね」と、今後も希望であり続けるとした。

死去の知らせを聞いた時は、「一瞬言葉が出なかった」と話した。最後に対面したのは、9年ほど前だという。「ある人は『新間会長とアントニオ猪木氏をもう1度ゆっくり会わせてあげたかった』って言ってくれた人もいたよ」と、再会できなかったことを無念がっていた。