アントニオ猪木さんは生前、北朝鮮を33回も訪問した。師匠・力道山のルーツであることから94年に初訪朝し、翌95年に平壌でプロレスの大会「平和の祭典」を開催するなどスポーツを通じた外交を行ってきた。

02年に北朝鮮の拉致被害者が帰国後、両国関係は悪化し、日本政府は北京の外交ルートを通じた働き掛けを余儀なくされている。一方、猪木さんは直接のパイプを維持し続けた。体調が悪化し、結果的に最後となった17年9月の訪朝では、当時の朝鮮労働党ナンバー2の李洙■(土ヘンに庸)リ・スヨン)副委員長と会談。自民党関係者から託された「出来るだけ早く訪朝したい」との意向と、訪朝議員団結成の可能性を伝えると「喜んで、ぜひ」と受け入れの意向を引き出していた。

猪木さんは19年10月、健康問題を理由に参院選への出馬を見送り、政界を引退すると発表した。その裏で周囲の関係者には、もし政権与党の自民党が北朝鮮問題で力を貸して欲しいと打診してきたら…と、北朝鮮との関係改善に残りの人生をささげる覚悟も示していた。「日本政府がドアを閉ざしてしまっている。人の交流を閉ざしてはいけない。訪朝団を組めれば次の段階へ進める」。その言葉をかなえることが出来ないまま、猪木さんは力尽きた。【村上幸将】

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