日本相撲協会は25日、東京・両国国技館で大相撲春場所(3月12日初日・エディオンアリーナ大阪)の番付編成会議を開き、石橋改め朝乃山(あさのやま、22=高砂。近大卒)の新十両昇進を決めた。

 これを受けて朝乃山は25日午後、東京・墨田区内の高砂部屋で、師匠の高砂親方(61=元大関朝潮)同席のもと、記者会見に臨んだ。

 大学時代の実績から、昨年3月の春場所で、三段目最下位(100枚目)格付け出しでデビュー。所要6場所での新十両昇進に「大阪で初土俵を踏んだのが1年前。第2の故郷の大阪に、関取で帰ってくる目標を達成できて良かった」と安堵(あんど)の笑みを浮かべ、新十両の土俵では「幕下までは1場所7番。これからは15番取れるのが楽しみ。右四つ、左上手の自分の相撲を思い切り取りたい」と抱負を語った。高砂親方も「伸びしろは、まだある。しこ名を有名にするも、しないも、本人次第。いろいろと吸収して自分の力、血に替えることが大事」と期待した。

 晴れの日を4日後に控えた初場所14日目の21日、石橋の元に訃報が届いた。高校時代に自分を育ててくれた、母校の富山商高相撲部監督の浦山英樹さんが、がんのため40歳で死去した。息を引き取る半日前の20日。初場所13日目の7番相撲で、石橋は7戦全勝で幕下優勝を決め、新十両昇進を確実にした。その時、浦山さんは病状が思わしくなく、病床で目を開けるのがやっとの状態だったという。それでも同監督夫人の「もうすぐ石橋だよ」の声に、目を見開いてテレビに映る教え子の姿をまぶたに焼き付け、穏やかな顔をしたという。自分と同じ富山商-近大と歩んだ教え子の活躍を見届けての旅立ちとなった。

 本名の「石橋広暉」から、下の名前も合わせ「朝乃山英樹」に改名した。「英樹」は、その浦山さんの名前からつけた。「朝」は部屋に伝統的に受け継がれた一文字で、「山」には同じ富山市出身の第22代横綱太刀山や、恩師の浦山さんの思いも込めて、しこ名につけた。

 高砂部屋は初場所で、明治時代初期の1878年以降で初の関取不在となったが、朝乃山が昇進したことで、1場所で関取が復活。さまざまな期待を背に、本当の勝負が始まる。