相撲界に19年ぶりとなる日本出身横綱が誕生した。「日本人横綱」でなく、「日本出身横綱」と表記するのはなぜか?

 66代横綱若乃花が昇進したのは19年前の1998年。67代横綱武蔵丸はその1年後に昇進した。武蔵丸は米国のハワイ出身だが、1996年に日本国籍を取得。横綱に昇進した時はすでに日本人だった。武蔵丸以降は朝青龍、白鵬、日馬富士、鶴竜と4代続けてモンゴル出身の横綱が誕生し、4人ともモンゴル国籍のままだ。

 つまり稀勢の里は若乃花以来19年ぶりの日本出身横綱であり、武蔵丸以来18年ぶりの日本人横綱ということになる。

 私も含め、メディアはなぜ「武蔵丸以来18年ぶり」と表記しないのか? 間違いではないが、武蔵丸の国籍変更の経緯を知らなければ「武蔵丸って米国人じゃなかった?」という疑問が生じる可能性があり、あの若貴の若乃花以来とした方が分かりやすいからだ。しかし私は、「若乃花以来の日本出身横綱」と書いたり読んだりするたびに、少しの引っかかりを覚える。武蔵丸は日本に骨をうずめる覚悟を決めて日本国籍を取得し、現在は武蔵川親方として後進の指導にあたっている。例の表現が武蔵丸に対して失礼になってしまうのではないか? 本人はどう思っているのか? かねて気になっていた。

 このほど元横綱武蔵丸の武蔵川親方に話を聞く機会があり、この件を率直に聞いた。実際、どう思っているのか?

 「それは思ったけどね。俺はあまり気にしないよ。そんなのちっちゃい。気にしないよ」

 武蔵川親方はいつもの穏やかな口調で言った。

 「外人は外人だ。しょうがないよ。俺も日暮里出身とは言わなかったからな」と言って、笑わせた。親方の人間的な器の大きさに、少し救われた気がした。親方が育った武蔵川部屋は東京・日暮里にあり、日本国籍取得後は冗談で「東京、日暮里の出身です」と言ったこともあったという。

 そんな話をしていると親方は「出身地って変えてもいいんじゃないかな?」という提案を口にした。

 土俵入りの際、場内では「大関稀勢の里、茨城県出身、田子ノ浦部屋」というようにアナウンスされる。番付表にも出身地が載る。しかし、この出身地は「出生地」に限らず、協会への届け出によって変更が可能。実際に、横綱日馬富士は生まれ育ったモンゴル・ウランバートルでなく、尊敬する父の故郷ゴビアルタイと出身地としている。十両山口は4年前に東京・江東区から、3歳まで過ごした福岡・飯塚市に変えた。本人が望むなら、国籍変更と同時に出身地変更があってもいいのかもしれない。

 武蔵丸はまだ米国国籍だった大関昇進時に口上で「日本の心を持って相撲道に精進致します」と述べた。武蔵川親方は「そういう気持ちでやらないとうまくいかないからね」と今も言う。

 熱心な相撲ファンは、国籍に関係なく力士を応援していることを、私は知っている。一方で今回の稀勢の里の昇進は「日本出身力士」だからこそ、いつもは相撲に関心のなかった層も巻き込んでの大きな話題になったとも思っている。大相撲の伝統として、地元力士を応援することは自然なことでもある。一方で、武蔵川親方のような人が、大きな心で角界を支えていることも忘れずにいたい。【佐々木一郎】