安青錦の付け人や安治川部屋の若い衆は、7月の名古屋場所を迎えるにあたって少し困っていた。
大関だった安青錦が名古屋場所から関脇に陥落した。何と呼べばいいのか? どう呼ぶことが失礼にならないのか? ある力士は「下の子から『何て呼んだらいいですか?』と良く聞かれます。戻る気があるから『大関』でいいんじゃないですかね」と話していた。
相撲界では、十両以上に昇進すると「関取」や「○○関」と敬意を込めて呼ばれるようになる。三役に昇進しても小結や関脇の場合は変わらないが、大関以上は別。「大関」とか「横綱」とか、肩書で呼ばれるようになる。それが慣例であり、その地位を尊重していることの表れでもある。
横綱からは陥落しないが、大関は成績次第で関脇以下に陥落する。「大関」と呼んでいた力士に対し、番付発表を境にして急に「関取」と呼ぶのはなんだか気まずい。同じ屋根の下で暮らしている力士たちにとっては、特にそうだろう。かといって、関脇になった元大関に対して「大関」と呼ぶのは、どうなのか…。安青錦の近くにいる若い衆が戸惑う気持ちは、よく分かった。
ちなみに、元大関の朝乃山に対し、今も高砂部屋の力士たちは「大関」と呼ぶ。朝乃山の付け人の1人は「すぐに戻ると思っていましたし、今もそう思っていますから」と言う。この心意気は悪くない。今も部屋の看板力士は、朝乃山なのだ。
霧島は2023年名古屋場所で大関に昇進したが、6場所で陥落。部屋ではしばらく大関と呼ばれていた。ある若い衆は「ずっと大関と呼んでいたら、ある時『大関と呼ぶな。もう大関じゃないんだから』と言われました」と証言する。その霧島は、陥落から11場所かけて大関に復帰した。
安青錦は名古屋場所中、ほとんどの場合は安治川部屋の中で「大関」と呼ばれていたようだ。
安青錦は10勝して大関復帰を決めただけでなく、3度目の優勝まで勝ち取ってしまった。敬称問題に気をもんでいた若い衆がホッと胸をなで下ろしたことは言うまでもない。
その安青錦には、夏巡業の時に聞いた。関脇になっても「大関」と呼ばれて気にならなかったのか?
「別に、全然。戻るつもりでいましたから」
安青錦は涼しい顔で答えた。
このメンタルの強さこそ、いずれ「横綱」と呼ばれる日がくることを予感させる。まずは「大関」としての秋場所が始まる。【佐々木一郎】


