横綱照ノ富士(33=伊勢ケ浜)が現役引退を発表し、師匠の伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)同席で、17日に両国国技館で会見した。今後は伊勢ケ浜部屋の部屋付きで「照ノ富士親方」として、後進の指導にあたる。
◇ ◇ ◇
<とっておきメモ>
私が照ノ富士の稽古を初めて見たのは、まだしこ名が若三勝だった2011年9月4日。間垣部屋で行われた貴乃花グループの連合稽古だった。
若三勝は同年7月に序ノ口デビューしたばかり。まげは結えずにざんばらだったが、大器の片りんを見せていた。翌日の紙面には、次のような記事を載せた。
◇ ◇ ◇
貴乃花グループから、期待の新星が飛び出した。4日、同グループの連合稽古が東京・墨田区の間垣部屋で行われた。申し合い稽古で、親方衆を驚かせたのは、7月に序ノ口デビューしたモンゴル出身の若三勝(わかみしょう、19=間垣)。幕内大道に4連勝した。「胸を出してもらってよかった」と初々しく感謝したが、すべて四つに組んでからの力相撲で、胸を張れる内容だった。
192センチ、158キロの逸材。横綱白鵬の父に勧められて、昨年3月に鳥取城北高へ入り、中退後の12月に新弟子検査を受けていた。この日の稽古後、貴乃花親方(元横綱)は「イチ押しですね。今日は特に良かった。幕下にはじきに上がる。あせることなく、ケガのないようにできるといいですね」と評価した。名古屋場所は学生相撲出身者に2敗し、5勝止まりだったが、今後のスピード出世は確実だ。
◇ ◇ ◇
稽古後に話を聞いたが、近くにいても声が小さくてよく聞こえない。うつむくばかりで、自信がないように見えた。
この1年半後の2013年4月、間垣部屋の閉鎖にともなって伊勢ケ浜部屋に転籍。そこから躍進は、知られているとおりだ。
最初に大関に駆け上がるころは、自信に満ちあふれていた。声も大きくなっていた。稽古後の上がり座敷では、「これは書いちゃだめ」なんて言いながら、ざっくばらんに報道陣との雑談で盛り上がっていたことをよく覚えている。
その後、私は常時取材できていたわけではない。照ノ富士はケガと病気で序二段まで落ち、そこから横綱になった。やんちゃな発言はグッと減った。
横綱在位21場所のうち、15日間皆勤は8場所だけ。苦しい時間だった。「都内の公園でみかけた。ベンチに座って、宙を見つめてぼうぜんとしていたよ。大丈夫なのかな」という知人からの目撃談を何度か聞いた。
大関時代は立ち合いで変化し、客席からブーイングが起きたこともあった。ごく一部からだろうが「モンゴルへ帰れ」という心ないやじも浴びた。
これらのことは、17日の引退会見を聞いてふに落ちた。
横綱になってからの気持ちの変化を聞かれた照ノ富士は、こう言った。「横綱に上がるまでは、がむしゃらにただ強くなりたい、横綱になりたいっていう思いで、稽古、トレーニングに励んでやってきましたけど、横綱に上がってから、本当に相撲の奥深さっていうか、この国技としてあるものがどういうものなのかっていうことをちょっとずつ感じるようになり、それに関しては深く思うようになりました」。
師匠の伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)は、厳しい人だ。記者会見でも予定調和のやりとりはしない。これまでの弟子の引退会見でも、手放しに褒めたたえたりすることは少ない。それが、照ノ富士の引退会見では「私から見たら、もうやることは十分やってきたと思う」「元々前からですね、もう十分やってきたと思うんで、言葉うんぬんよりはね、いつでも(引退を)言ってきていいよっていう気持ちでずっといました」「よく頑張ったんじゃないですかね。稽古もしましたし、途中けがでね、また下まで落ちて。でもそっからまた復活して、横綱まで昇進して、優勝して。十分じゃないですか」という言葉が相次いだ。最大限の称賛に聞こえた。
会見中、印象に残った照ノ富士の言葉も多い。「よく子供生まれてからより一層頑張らないといけない、家族持ったからより一層頑張らないといけないっていう言葉を聞くんですけど、自分の中ではそういうのはなく、今までやってきたことを常にやってきたつもりなんで、本当に子供生まれたからってもっと頑張れるんだったらその前に頑張るべきだと思うし、その前からもやれることを精いっぱいやってきたつもりなんで」。
小声でもない、大声でもない。19歳の序二段力士は、家族を支える33歳の大人になっていた。心に響く横綱の言葉だった。【佐々木一郎】

