菅義偉(すが・よしひで)氏が14日、自民党の新総裁に選出された。16日の総理大臣指名選挙をへて、新しい内閣総理大臣に就任する流れ。こんなうれしい話題は久びさだ。平成8年の衆議院議員選挙で初当選したのは115人、菅氏も私もそのうちの1人。同期生が天下人になったのだからウキウキする。

ところが、115人のうちすでに20人が死去されていて、同期生の晴れ舞台を見ることができなかった。17・4%の元代議士が死んでいるとは驚きだが、政治家がさまざまなストレスを抱える現実を物語る。ただ、自殺者数はゼロ。私のごとく病気持ちは多いようだ。

夫婦で裁判中の河井克行前法相も同期生、今も現役で議員でいるのは34人、約30%である。そのうち31人が今までに入閣した。平成8年初当選組の約27%だ。長期間、与党の政治家をしておれば、だいたい大臣になれると数字が教えてくれる。ただ、いつ解散があるかもしれず、常在戦場の日々、衆議院議員はひとときも休めない宿命をもつ。私などは、その戦場から逃避した敗走者の一員であろう。

大臣になった31人のうち、一番最後に大臣に就任できたのは河井克行議員、法務大臣だ。法務大臣経験者が、妻の選挙違反で逮捕されたのは残念。残り福はなく、悲劇を生んだ。が、115人の同期生のうち河井議員を含めて7人も逮捕者が出ているのも驚きであろう。たいていは執行猶予がついているのだが、山本譲司元議員と阪上善秀元議員の2人だけは懲役の実刑、服役した。

初当選組115人の流転について記述してきたが、内閣総理大臣も誕生する。私は当初、野党(新進)にいたが、二階俊博議員と行動を共にして自由党結成に参加してより与党の仲間入り。以後、保守党、保守新党と移ったが、自民党と合流した。初めて菅義偉総裁と食事したのは、自由党の時で江崎鉄磨代議士と3人で新橋の小さな居酒屋だった。実に二十数年前のことだ。

ねたみと嫉妬の強烈な世界、その世界で上りつめた菅義偉総裁。既成概念から逸脱した経歴の持ち主、国民に勇気を与えてくれようか。この人は物静かで紳士、私も見習っておけばよかった。