1964年の東京五輪、レスリングのフリー・バンタム級の決勝は、日本の上武洋次郎とトルコのF・アクバッシュが対戦した。上武は米国留学中の早大生で全米チャンピオン。アクバッシュは63年の世界チャンピオンだ。試合は上武の大勝利、金メダルを手中にする。

が、アクバッシュ選手は、真っすぐ歩けない障がい者レスラー。左足が極度に細いポリオ(小児まひ)だった。その彼が世界王座に就き、五輪の銀メダリストという栄冠を手にした。スポーツの中でも激しいレスリングで、障がい者たるアクバッシュ選手は強かった。

数年後、私はトルコの首都アンカラへ飛び、ナショナルコーチのアクバッシュ氏にインタビューした。トルコの国技はレスリング。ヤールグレッシュ(オイルレスリング)という古いレスリングの伝統があり、男の子は町道場へ通う。アクバッシュ少年は、ハンディを抱えるも母親の勧めで道場へ通った。

「小中高校とレスリングを続けましたが、強くなれませんでした。でも友だちが多くいたので楽しかった。合宿や遠征も楽しいので、ずっと道場に通い続けました」

高校卒業後、フェルト(羊毛の圧縮製品)工場に勤務するが、体がなまるため町道場へ行く。子供たちと練習する。細い前に出した左足に子供が片足タックル、尻もちをつく。抑え込もうと子供が前へ出てきた時、右足で相手を払うと横転する。その技を徹底的に練習したと語る。磨きをかけたのだ。

ハンディを逆利用し、得意技にして世界王座に就いた障がい者レスラーが続ける。「だれもがハンディを持っている。ハンディを武器にすることに私は成功したのです」と。目に見えるハンディもあれば、見えないハンディもある。私などは、心の弱さ、精神力の欠如という致命的なハンディを背負っていた。

創意工夫する前向きな姿勢があれば、ハンディを吹き飛ばし利用することができる。アクバッシュ氏から得た教訓だ。