日体大に入学してくる学生は、教員志望者が多い。私もその1人だった。ベビーブームが続いて、高校が増設されて教員採用も多数にのぼり、日体大の就職は教員と決まっているかの印象を受けた。「保健体育科」の教員採用(中学・高校)は、日体大の王座は今も揺るがないが、かなり狭き門となってきた。少子化の影響、希望者は必死で勉強中だ。

3月1日付の本紙に宮城県の高校教員に阿部翔人君が合格したと報じられていた。5度目の採用試験の挑戦、4月から正式教員になるという。4回も不合格になれば、たいていは諦めるだろうが、不屈の精神で阿部君は夢を手中にした。彼は石巻工3年時に21世紀枠でセンバツに出場して、選手宣誓を行った。日体大ではレギュラーになれなかったが、最後まで野球部で頑張った。古城監督は、1軍に引き上げたものの出場機会がなかったという。

日体大野球部で、西武松本、ロッテ東妻、ヤクルト吉田大喜、中日森といった選手を指導した有澤渉コーチは、元中日の辻孟彦コーチとともに大学日本一のチームをつくったが、昨年春に富山県に戻った。彼は4回目の採用試験に合格、ついに教員になることができた。一般的には、その県で非常勤講師をしながら勉強して挑戦するのだが、有澤君は大学でコーチをしながら合格したまれなケースだ。

2人に共通しているのは、採用試験が厳しくなっているのに、好きな野球を学校で教えたいという夢を持ち続けたことである。私の好きな巨匠であるミケランジェロの言葉を想起する。「人間にとって最大の危険は、目標が高すぎて達成できないことにあらず、目標が低すぎて達成してしまうことだ」。有澤、阿部の両君は、目標に向かって4年も5年も逃げることなく努力した。こんな卒業生が多数いることをうれしく思う。

東日本大震災という「苦難を乗り越えることができれば、その先に必ず大きな幸せが待っている」と甲子園で述べた阿部翔人君、おめでとう。