東京オリンピック・パラリンピックは、大学関係者に多くのことを教えてくれた。オリンピック選手を輩出したのは実に92大学、多数に散らばったのは、各大学がアスリートに門戸を開くばかりか推薦制度と奨学生制度をもつゆえだ。583人の日本選手団は多彩だった。それでも、やはり伝統校が多数を占めた。

日体大勢は59人、2位の早大が28人、3位が日大で26人であった(OBを含む)。いずれも体育・スポーツ系の学部をもち、運動部数も多く古豪であるためエリートのアスリートが入学する。4位が24人の筑波大、5位が明大の18人、6位が中大、東洋大、法大の各12人と続いた。大規模大学(日体大を除く)の強さを見せつけられたオリンピックでもあったのだ。

目を引いたのは、約180人の高卒オリンピアンの誕生である。とりわけ女子アスリートの多くは、高校卒業と同時に実業団チームに加入する。男性とちがって、プレーできる年数に限りがあるからだと聞く。プロとアマのルールがなくなって、高額の支度金も準備されるとなると進学よりも実業団へとなびく。この傾向は高まるばかりで、バレーボール、バスケットボールなどのチームスポーツに多いようだ。

15人のオリンピアンは、外国の学校に籍を置いていた。国際化の波はスポーツ界にも及び、わが国の国力は想像以上であることを教えられる。もはやスポーツ留学は一般化しているといえようか。アスリートも多様な道を選択していて、己の個性を生かす時代だと知る。種目によれば、中学生、高校生も活躍してくれた。バラエティーに富む日本代表選手団、国民を元気づけてくれたのは確かだった。

パラアスリートは、多くの有力企業によって支えられていた。共生社会のシンボリックな社員として、応援していただけるのはありがたい。日体大は日本財団からの奨学金によって、パラアスリートを受け入れ、10人の代表選手を輩出した。私たちは、パラアスリートから希望と勇気をいただき人間力を高めることができた。