◆航空再開

太平洋戦争の終結から、日本は航空全般を禁止され、造ることも飛ばすことも禁止された。従業員4万2000人余の一大メーカーであった立川飛行機もほとんどの工場が接収され、賠償工場にも指定された。電気自動車「たま」号は、この時期の少し後に苦肉の策で生産されたものだ。

1952年(昭27)4月末のサンフランシスコ講和条約発効により日本の独立が回復し、航空機開発も解禁された。これを受けて立飛工業(立川飛行機の後継会社、のちに新立川航空機)が接収を免れた工場で製作したのがR-52、戦後の国産飛行機第1号機だった。

R-53は、R-52の発動機を換装して改良を加えたもので、54年7月に完成。並行して、戦前に「空の虱(しらみ)」で名をはせた仏人アンリ・ミニエを招き、その発展機(R-HM)を9月に完成させた。残念ながら両機とも量産に至らず、後継機も造られることはなく時は過ぎた。

2013年(平25)、新立川航空機の製造部門廃止に伴い、残されていたR-53とR-HMを同社の記録として保存すべく修復作業が開始された。翌14年春、修復なった両機が公開され、今年の4月からはR-HMはいつでも会えるようになった。